夢とdream
最初の投稿ということでこのテーマにしました。
「夢」には2つの意味があります。
眠っているときに見る夢と、将来、未来に対してみる夢です。
そして、この2つの意味をもつ夢を、英単語にすると同じように1つのdreamという単語で表すことができます。
これは、ただの偶然でしょうか?
それとも日本人とイギリス人・アメリカ人が全く同じ概念を持つものとして、この2つのことを考えていたからなのでしょうか?
実は日本の「夢」という言葉には本来、眠っているときに見る夢の意味しかありませんでした。
それを英単語を日本語に翻訳する際、眠っているときに見る夢=dreamであったため、
そのとき夢という言葉に英語が本来持っていた将来、未来に対してみる願いのような意味を付け加えたのです。
つまり将来、未来に対する夢の概念は、本来イギリス・アメリカの概念でいまこれだけ浸透しているということです。
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毛利輝元とはー中学歴史の教科書 新登場人物1
2017年9月4日
社会, 歴史教科書 新登場人物
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w.sanbongi
毛利輝元とはー中学歴史の教科書 新登場人物1
今までの教科書において、関ヶ原の戦いは石田三成対徳川家康でした。
新しい教科書より石田三成に味方した人物として「毛利輝元などの大名」と、毛利輝元はその代表として書かれています。
毛利氏は中国地方を治めていた大名で、その基盤を作ったのが輝元の祖父に当たる毛利元就(もとなり)です。
毛利元就は教科書本文にこそ出てきませんが、有力な戦国大名の紹介ページに顔と名前だけ、昔から登場しています。
矢は1本だと折れるが、3本だと折れない「3本の矢」のエピソードで有名です。
昔、大河ドラマの主人公としても取り扱われたことがあります。
そのうちの1本の矢が毛利輝元の父、毛利隆元になります。隆元は若くして亡くなったため、13歳で実質的な当主になります。
隆元の兄弟、つまり輝元のおじの吉川元春と小早川隆景は輝元を支え、この二人は「両川(りょうせん)」と呼ばれました。
豊臣秀吉時代には、若いながらその家柄から徳川家康と同様に五大老(他に前田利家、上杉景勝など)の一人に選ばれます。
そのことから関ケ原の戦いの石田三成側の総大将は、毛利輝元でした。
では、なぜ毛利輝元対徳川家康ではないかというと、輝元は関ヶ原の戦いの際大阪城にずっといたからです。
つまり、実質戦いには参加していませんでした。
よって総大将とは言いながらこれといって何もしていないことが、今まで教科書に名前があがらなかった理由だと考えられます。
よく毛利輝元の紹介文にも「凡庸な大名」と書かれています。
ゲームなどでも登場しますが、いたって普通の能力の場合が多い印象があります。
ただ実質的に戦いに参加しなかったことから、毛利家は関ヶ原の戦い後も存続することができました。
江戸時代末期には長州藩から吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)ら、明治維新で活躍した人物を多数輩出しています。
※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。
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