奥の細道(江戸時代)ー歴史で中学生が知っておきたい作品


奥の細道

奥の細道

 

おくのほそみち

江戸時代

松尾芭蕉

 

教科書では、元禄文化のころ、松尾芭蕉が俳諧で新しい作風を生み出し、『奥の細道』などを執筆したとあります。

 

奥の細道』は1689年に松尾芭蕉が門弟である曾良と江戸を出発し、東北、北陸を経て、美濃大垣に至るまでの旅行記です。

日数にしておよそ150日間の旅になります。

「月日は百代の過客にして 行きかふ年も又旅人なり」から始まります。

 

1689年の春に江戸にある芭蕉の草庵を門弟の曾良と出発し、「草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家」を詠んでいます。

そこから、日光街道を使って草加・日光・そして現在では芭蕉の里で有名な城下町黒羽(くろばね)に行きます。

ここから、奥州に入り、仙台へと行き、日本三景の1つとされる松島に行っています。

平泉では、国語でも習う「夏草や 兵どもが 夢のあと」の句を詠んでいます。

そして奥州山脈を越え、出羽の寺に立ち寄って、「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」を詠んでいます。

最上川を下って、奥の細道では最も北になる象潟(きさかた)につきます。

ここから折り返して、日本海岸沿いを下っていき、富山、金沢、福井、そして美濃大垣で終わっています。

 

教科書では、作者の松尾芭蕉俳諧で新しい作風を生み出したとあります。

この作風を、蕉風正風・しょうふう)といいます。

しおり・さびなどの新しい美意識に基づく作風で、俳諧を芸術的に完成させました。

他にも鳴海・熱田・伊良湖・名古屋を経て、伊勢神宮を参拝した『笈の小文(おいのこぶみ)』が有名です。

門人たちが編集し、芭蕉一派の最高の句集とされる『猿蓑(さるみの)』も知られています。

松尾芭蕉は伊賀の生まれで、『奥の細道』では46歳で1日数十キロ歩いており、旅行のスピードがとても速かったそうです。

また、当時入手困難な通行手形を取得できたこと、旅の資金に困っていないことなどから、忍者だったという説もあります。

 

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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