カテゴリー: ビジュアル系の歴史
YOSHIKI(X-JAPAN)とはービジュアル系の歴史
YOSHIKI
年齢非公表(ただし同級生のToshIは公表しています。)
X-JAPAN(リーダー)
ドラム・ピアノ
YOSHIKIは、X-JAPANのリーダーで、ビジュアル系を作った人物とも言われています。
X-JAPANはYOSHIKIとその幼馴染のToshIを中心につくられたグループで、そのほとんどの作曲はYOSHIKIがしています。
バンドの場合、ボーカルが人気の中心となることが多いですが、ドラム・ピアノでここまで注目される人物も少ないです。
自らが設立した「エクスタシーレコード」から、ビジュアル系の代表格・LUNA SEA、GLAYを出しています。
小さいころからピアノを習っていたため、クラシック音楽にも詳しく、自らの音楽にもその影響を与えています。
またパンクバンドの影響を強く受けており、X-JAPANは特に初期は、パンクバンド的な要素が強かったです。
学生時代から、ToshIとともにバンド活動をしており、Xというバンド名も、学生時代から存在していました。
音楽大学に進む予定でしたが、ToshIが上京してバンド活動する意志を持っていたため、いっしょに上京しました。
そして自らレコード会社を設立、その後メジャーデビューし活躍、いくつかの賞も受賞しています。
当初は、過激なパフォーマンスも多く、音楽以外でも数多くの伝説を持った人物です。
激しく頭を振りながらドラムをたたく演奏スタイルで。その影響から首・腕など身体的に不安な要素も抱えています。
実際これれが原因となって何度か、ライブが延期や中止となっています。
しかし、ToshIの脱退に伴い、X-JAPANは一度解散、ソロ活動を行いますが、海外での活動がメインとなっていきました。
ソロとして海外ミュージシャンとも活動し、ソロで、ワールドツアーも行っています。
小室哲哉、GACKT、SUGIZOなどとも活動しており、最近ではhydeをボーカルにしてCDも出しています。
2016年には、「VISUAL JAPAN SUMMIT」を開催、日本中のビジュアル系バンドを集め、その存在感を見せました。
最近では、バラエティー番組にも多数出演、高視聴率を取り、ネットニュースにも取り上げられ、話題となっています。
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RYUICHI(LUNA SEA)とはービジュアル系の歴史
2018年11月11日
ビジュアル系の歴史
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w.sanbongi
RYUICHI
1970年5月20日生まれ
LUNA SEA
ボーカル
RYUICHIは、LUNA SEAのボーカルでソロ活動もしています。ソロ活動では、河村隆一(かわむらりゅういち)で活動します。
LUNA SEAには最後に加入しており、メンバー全員神奈川県出身ですが、他のメンバーと出身市が一人だけ異なります。
ちなみにSUGIZO、INORAN、Jの3人は中学の同級生です。SUGIZOと真矢は高校の同級生です。
LUNA SEAの作詞・作曲はLUNA SEA名義になっていますが、実際の作詞はRYUICHIが行うことが多いです。
インディーズ時代は、LUNACYでしたが、途中でLUNA SEAに変更、各会場ソールドアウトの人気を得ます。
最初のインディーズアルバムはYOSHIKIのエクスタシーレコードより発売、これ以降、YOSHIKIとの関係が出来上がります。
この後も演奏会場はどんどん大きくなりますが、軒並みソールドアウトし、1992年、メジャーデビューします。
メジャーデビュー後も、LUNA SEAはオリコン1位を取るなど活躍し、そののち1年活動休止をしています。
この活動休止期間に、RYUICHIは、河村隆一の名義でソロ活動を開始します。
曲調はLUNA SEAのものとは異なり、ビジュアル系のボーカリストとはある種、真逆のようなイメージでした。
曲はデビュー曲から立て続けにヒットし、シングル『Glass』は100万枚のミリオンヒットしています。
さらにアルバム『Love』は約300万枚を売り上げ、男性ソロアーティストのアルバム売上1位を記録しました。
年末には、ソロでNHK紅白歌合戦にも参加、その他、ドラマ、バラエティーにも出演、この年の顔ともいえる活躍でした。
翌年、LUNA SEAは活動を再開しますが、このソロ活動での活躍がLUNA SEAの存在をより高めることとなりました。
LUNA SEA解散後は、ソロ活動のほかにINORANらとTourbillion(トゥールビヨン)を結成しています。
LUNA SEA復活後は、「LUNATIC FEST.」を開催するなど、LUNA SEAとして精力的に活動しています。
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