生麦事件をわかりやすくー歴史で中学生が知っておきたい事件


生麦事件

生麦事件

 

1862年

教科書では、生麦事件の報復のために起こった薩英戦争の結果、

薩摩藩はイギリスに接近して軍備を強化したとあります。

 

生麦事件とは、横浜近郊の生麦村で、薩摩藩士が島津久光の行列を横切ったイギリス人の非礼をとがめ、殺傷した事件です。

島津久光ら薩摩藩一行は、幕政改革(文久の改革)のため江戸に行き、その帰国の最中でした。

 

島津久光(ひさみつ)は、前薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)の異母弟で、当時の公武合体派の中心的人物です。

島津久光、島津斉彬ともに、2018年NHK大河ドラマ『西郷どん』にも登場しています。

この事件によって、その場にいたイギリス人4人のうち1人は死亡します。

2人は大けがをして、アメリカ領事館に逃げ込みました。

ちなみにこの薩摩藩の一団には、大久保利通もいたといわれています(ただし殺傷した人物ではありません)。

この事件は個人的事件ではなく、命令はしていないにしろ大名一行が集団で起こした事件であるため、大きな問題となりました。

 

イギリス側は、犯人を差し出すよう繰り返し幕府に要求しますが、幕府側は対応にとまどります。

これは、文久の改革(ぶんきゅう)を行った島津久光が当時幕府側から、よく思われていなかったことも一因にあります。

一方、朝廷側は島津久光を評価しました。

これにより朝廷では攘夷論(じょういろん・外国人は排除するという考え)が強まります。

その後、イギリス側は、幕府及び薩摩藩に対し、別々に対応、両者に賠償金を請求しています。

 

幕府はやはり答えがまとまらず、一度払うと言った賠償金支払いを延期、怒ったイギリス側は戦闘態勢に入ります。

薩摩藩に至っては、鹿児島沖に来航してきたイギリス艦隊を砲撃、戦争に突入しました(薩英戦争)。

この戦争は薩摩藩、イギリス双方とも大きな被害を受け、講和が成立します。

薩摩藩はこれによって攘夷の無謀さを知ることとなり、一転イギリスとの関係を強化し、軍備を整えていきます。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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