徳川綱吉がしたことー歴史で中学生が覚えておきたい徳川将軍3


徳川綱吉

徳川綱吉

 

とくがわつなよし

第5代将軍

1646年~1709年

 

教科書では、朱子学をすすめたこと、生類憐みの令を出したことが記述されています。

 

徳川綱吉は第3代将軍徳川家光の四男で、第4代将軍徳川家綱の弟になります。

ちなみに身長は124㎝だったと言われています(当時の平均身長は155㎝)。

家綱に子供がおらず、他の兄たちも亡くなっていたため、綱吉が将軍となりました。

 

第3代将軍家光までは、武力でおさえる武断政治でしたが、第4代から第7代までは朱子学に基づいた文治政治が行われました。

特に綱吉は文治政治を推進し、忠孝・礼儀を重視した天和の武家諸法度を発布しています。

のちに幕府直轄の学問所となる孔子廟ー湯島聖堂を立て、新井白石室鳩巣(むろきゅうそう)らの学者を輩出しています。

大老堀田正俊柳沢吉保の補佐で行われたこれら綱吉の政治は、天和の治と呼ばれ、善政と評価されています。

また、天和の治を受けて経済が発展、綱吉のころの上方の町人を担い手とする文化を、元禄文化といいます。

 

しかし大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に殺され、そのため老中などを遠ざけるようになり、その後生類憐みの令を出します。

その動物愛護は、犬、猫、鳥だけでなく、魚、貝、虫にまで及びました。

自ら犬小屋に野犬を飼い、住民は追い出されました。

犬好きなのは、自身が戌(いぬ)年だったためと言われています。

ちなみにこの生類憐みの令は、徳川光圀も反対していました。

一般的には前半は善政の人、後半は暗愚という評価される場合が多いかと思います。

64歳で亡くなります。第6代将軍徳川家宣の代になると、生類憐みの令はすぐに廃止されました。

また、討ち入りで有名な赤穂浪士のお話し(赤穂事件)も綱吉の時代のお話しです。富士山の大噴火も起きています。

綱吉の評価が低いのは、「忠臣蔵」や「水戸黄門」の影響があると言われており、最近は再評価もされています。

 

 

歴史で中学生が覚えておきたい徳川将軍一覧

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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