明智光秀とはー2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公


明智光秀

明智光秀

 

あけちみつひで

1528年~1582年

 

 

教科書では、織田信長にそむき本能寺の変をおこし、羽柴秀吉に倒された人物として登場します。

明智光秀は、最初美濃の大名・斎藤道三に仕え、道三死後は、越前の大名・朝倉義景に仕えたと言われています。

足利義昭が室町幕府の再興のために動き出し、義景を頼りましたが義景は動かず、光秀は、織田信長を頼るよう勧めました。

なお信長の妻で斎藤道三の娘であった濃姫は、光秀と親戚関係にあったと考えられています。

 

足利義昭と織田信長が京都に入り室町幕府を再興する際は、両名の家臣として参加しています。

延暦寺焼き討ちなどで活躍し、近江に領地を与えられ、坂本城を建てました。

足利義昭が信長に対して敵対するようになると、光秀は信長の家臣として参加しています。

その後も長篠の戦いや越前一向一揆の平定などで活躍、丹波を平定したことで、34万石を領する大名となりました。

近畿地方の大名も光秀の管轄下に置かれることとなり、近畿軍のリーダーとして、柴田勝家や羽柴秀吉と並ぶ存在になりました。

 

織田家が武田家を滅ぼした際、織田信長に祝いを述べたところ、光秀は何もしていないと信長に責められました。

2人の間に亀裂が生じ始める中、光秀は安土を訪れた徳川家康の接待を任されました。このときも責めを受けています。

そのとき、中国の毛利氏を攻めていた羽柴秀吉が信長に援軍を求め、光秀は秀吉の支援を命じられました。

しかし光秀は支援に向かう際、とつじょ本能寺にいた信長を攻め、これを倒しました(本能寺の変)。

本能寺の変を起こした理由は、うらみや恐怖から来たもの、秀吉や家康が仕向けたなど、さまざまな意見があります。

 

そして明智光秀は、毛利氏と和睦し引き返してきた羽柴秀吉と、天王山で決戦となり、これに敗れました(山崎の戦い)。

光秀は本拠である坂本城に帰る途中、百姓に竹やりで刺され、亡くなったと言われています。

光秀が天下を取れたのはわずか数日であったため、これを「三日天下(みっかてんか)」と言います。

光秀は多くの小説、ドラマに登場、2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公でもあります。

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

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