江華島事件をわかりやすくー歴史で中学生が知っておきたい事件


江華島事件

江華島事件

 

1875年

教科書では、日本が軍艦を朝鮮に派遣し、

圧力を加えたことにより起きた武力衝突とあります。

 

江華島事件(こうかとう・カンファド)とは、日本の軍艦が朝鮮漢江河口の江華島付近で砲撃を受け、戦闘となった事件です。

日本の軍艦・雲揚号(うんようごう)は途中、島から砲撃を受けました。

これに対し、日本は砲台を破壊し、砲撃の理由を問うために、永宗城(えいそうじょう)を占領しました。

 

事件後、日本はのちに首相にもなる黒田清隆(くろだきよたか)・井上馨(いのうえかおる)を江華島へ派遣します。

朝鮮側はこのとき鎖国していたため、アメリカ船と誤解したと主張します。

しかしこのとき雲揚号は日本の旗を掲げていたため、日本は朝鮮側の主張を認めず謝罪を求めました。

結果、日本の主張が通り、日本と朝鮮は日朝修好条規江華条約)を結びます。

朝鮮側は、釜山・仁川・元山の3港を開港し、日本の領事裁判権を認めるなどの不平等条約でした。

これにより、朝鮮は開国を主張する人たちが力をつけていくようになります。

 

なお、この事件については偶然ではなく、日本が攻撃させるよう計画的に仕向けた結果とも考えられています。

この事件以前、日本では鎖国をする朝鮮に対し、武力で国交を開かせようとする征韓論(せいかんろん)が主張されていました。

つまりペリーが日本にしたことと同じことを、朝鮮にしようとしていました。

西郷隆盛・板垣退助らがこれを強く主張しますが、大久保利通・木戸孝允らは反対し、実現しませんでした。

 

その後、日本は交渉によって国交を持とうとしますが、うまくいきませんでした。

よって日本は朝鮮付近の測量や航路の研究を行い、朝鮮を挑発しました。

このとき水を補給しようとした雲揚号対し、朝鮮側は砲撃をしてきて江華島事件が起こります。

挑発・圧力と感じさせたことは事実ですが、このときの日本は軍事的に朝鮮に開国を求めていたわけではありません。

あくまで測量なので、政府がどこまで計画的に行っていたかは意見が分かれるところです。

 

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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