モリソン号事件をわかりやすくー歴史で中学生が知っておきたい事件


モリソン号事件

モリソン号事件

 

1837年

教科書では、通商を求めたアメリカの商館を、

異国船打払令により砲撃した事件と紹介されています。

 

モリソン号事件は、日本船が嵐にあい漂流、これを外国船が助けたことがきっかけです。

漂流した日本人・岩吉、久吉、音吉、庄蔵(しょうぞう)、寿三郎、熊太郎、力松の7名はマカオに送られます。

これに対し、アメリカ商社は、漂流した日本人返還と引きかえに、日本との通商交渉並びに日本での布教を試みました。

 

アメリカ船モリソン号は、相模の浦賀で交渉しようとしますが、日本は異国船打払令に基づき、これを砲撃、撃退しました。

その後、モリソン号は、薩摩の山川に行きますが、薩摩藩もこれを拒否し、薪水、食料を与えられてマカオに帰りました。

このとき薩摩藩は、威嚇(いかく)でモリソン号を砲撃しています。

ちなみに、このときモリソン号は武装していませんでした。

江戸幕府は、モリソン号が来た理由を知らず、翌年オランダ商館の報告により、初めて知ることとなりました。

 

モリソン号事件自体は、上記の通りですが、モリソン号事件は「蛮社の獄」という出来事とセットで覚えます。

三河田原藩の蘭学者・渡辺崋山(わたなべかざん)は『慎機論(しんきろん)』で、モリソン号事件を批判しました。

しかし、この『慎機論』は世には出ませんでした。

また、蘭学者・高野長英(たかのちょうえい)も『戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)』でモリソン号事件を批判します。

これは写本は広まり、反響を呼ぶこととなります。高野長英は『戊戌夢物語』を匿名で出しています。

渡辺崋山の『慎機論』は世には出ませんでしたが、後に原稿が見つかってしまいます。

 

こののち『戊戌夢物語』は、老中・水野忠邦にも知られることとなり、その作者探しが行われることとなりました。

最初、渡辺崋山と高野長英は、密貿易のための小笠原島(無人島)渡航計画などを理由に逮捕されます。

これは無実が判明しますが、モリソン号事件批判に罪状を切り替えられ、結果、処罰されることとなりました。

これら一連の事件を「蛮社の獄(ばんしゃのごく)」といいます(教科書にも言葉はでてきます)。

 

中学生が覚えておきたい歴史事件一覧

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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