推古天皇とはー歴史で中学生が覚えておきたい天皇・上皇1


推古天皇

推古天皇

 

すいこてんのう

554年~628年

女性天皇

 

教科書には、蘇我氏などの有力豪族が大王にしようとする争いを和らげるために、即位した天皇として紹介されています。

女性の天皇で、聖徳太子を摂政に任じたことが書かれています。

 

推古天皇はもとは敏達天皇(びだちてんのう)の后で、女性で初めて天皇になった人物です。

摂政になった聖徳太子(しょうとくたいし)とはおば、おいの関係になります。

このとき多くの天皇候補の人物が次々と亡くなり、推古天皇の子供(男子)も早くして亡くなっています。

そして当時の天皇だった崇峻天皇(すしゅんてんのう)を、推古天皇のおじである蘇我馬子(そがのうまこ)が暗殺します。

その結果、推古天皇が天皇として即位することになりました。

 

中学では、聖徳太子が摂政の時の天皇とぐらいしか学ばないので、何もしていない天皇と思われるかもしれません。

しかし後に出てくる摂政とは違い、この当時の摂政は本当に天皇のサポート的な役割でした。

推古天皇自身も、政治的能力をしっかり持ち合わせた人物だったと言われています。推古天皇の治世は推古朝といいます。

推古朝を中心とする時代の中国・朝鮮の影響を受けた文化を、飛鳥文化といいます。

また、『日本書紀』には、推古天皇は美人だったと書かれています。

聖徳太子と蘇我馬子との関係がうまく保てたのも、推古天皇がいたからこそです。

このころ覚える、冠位十二階の制度十七条の憲法遣隋使法隆寺の建立はすべて聖徳太子だけによるものではありません。

推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子の3人の力で、推古朝は作られました。

 

次の天皇になるはずだった聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどおうじ)は、先に亡くなってしまいました。

推古天皇は亡くなるまで天皇として存在し、後継者問題を残したままこの世を去りました。

その結果、蘇我氏の独裁政治を招き、後の大化の改新へとつながっていきます。

 

 

中学生が覚えておきたい天皇・上皇一覧

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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