徳川家光がしたことー歴史で中学生が覚えておきたい徳川将軍2


徳川家光

徳川家光

 

とくがわいえみつ

第3代将軍

1604年~1651年

 

教科書では太字で登場する、徳川家康の次に覚えておかなければならない徳川将軍です。

参勤交代を行い、朱印船貿易の停止、日本人の出入国禁止、出島を築いたことが記述されています。

 

徳川家光は初代徳川家康の孫であり、第2代徳川秀忠の子になります。

家光の「家」は家康の「家」であり、家光より徳川将軍家の嫡男は、この「家」の字が付けられることになります。

江戸幕府が280年にわたり続いたのは家光の功績が大きいとされています。

 

20歳で将軍になりますが、父の徳川秀忠は徳川家康のように将軍を譲った後も実権を握り続けていました。

よって、その実績の多くは父秀忠が亡くなった後のものになります。

職制としては、大老老中若年寄大目付目付三奉行京都所司代などを定めました。

武家諸法度(ぶけしょはっと)を改正し、江戸と国元を1年交代で住む参勤交代を制度化しました。

このように家光は秀忠のころからの大名統制をさらに強化することによって、徳川家の力はますます強くなりました。

 

1635年には、朱印船貿易を停止し、日本人の出国と帰国をいっさい禁止とします。

さらに島原の乱後は、ポルトガル船の来航を禁止します。

そして平戸のオランダ商館を長崎の出島に移し、鎖国を完成させました。

1641年には、西日本の干ばつ、東日本の長雨・冷害により、大飢饉になりました(寛永の大飢饉・かんえいのだいききん)。

このため、1643年には百姓の没落とお金持ちの百姓への土地集中を防ぐために、田畑永代売買禁止令を発令しています。

「大奥」という仕組みが機能したのも、徳川家光の代からと言われています。

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の大規模改修も有名です。

48歳で亡くなりました。次の第4代将軍徳川家綱はわずか11歳で将軍になることになりました。

 

歴史で中学生が覚えておきたい徳川将軍一覧

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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