唐とは―歴史で中学生が知っておきたい中国史


唐

 

とう

李淵・李世民

日本:飛鳥~平安

 

唐も隋同様、日本と関係が深いうえに、約300年も続いた大帝国であることから、教科書の記述も多いです。

白村江の戦いで関係が悪化したときもありましたが、遣唐使は長きに渡り続けられます。

唐の作った法律(律令)を日本も参考にし、大宝律令(たいほうりつりょう)を作ることになります。

 

の建国者は隋の煬帝(ようだい)のいとこである李淵(りえん)です。

唐の基礎を作ったのは、その息子の第2代李世民(太宗)です。

李世民(りせいみん)のころの安定した政治を「貞観の治(じょうがんのち)」と言います。

第3代高宗のとき皇后であった則天武后(そくてんぶこう・武則天とも)が力を持ち、中国史上唯一の女帝になりました。

結果、数年だけ唐ではなくなりますが、則天武后が亡くなると高宗の息子である中宗(ちゅうそう)が即位し再び唐になります。

しかしそのときの皇后であった韋后(いこう)が、則天武后をまねて中宗を暗殺します。

再び政治は混乱しますが、玄宗がこれを鎮圧しました。

 

玄宗(げんそう)は外部に対して軍事力を強化し、政治も安定、このころの政治を「開元の治(かいげんのち)」と言います。

しかし、玄宗は世界三大悪女の1人と言われる楊貴妃(ようきひ)を溺愛します。

そして、楊貴妃の一族が独裁してしまう事態を作ってしまいました。

これに対し辺境警備をしていた安禄山(あんろくざん)らが反乱を起こしますが、これは失敗します(安史の乱)。

そして唐は一時盛り返しますが、続く農民を指導して起きた黄巣の乱(こうそうのらん)により唐は崩壊します。

この後、唐の衰退を感じた日本は遣唐使を廃止しています。

 

黄巣の乱の幹部の1人であった朱全忠(しゅぜんちゅう)が唐に裏切ったことにより、黄巣の乱は鎮圧されました。

その朱全忠が後梁(こうりょう)という国を建て、唐は滅亡することになります。

 

 

中学生が知っておきたい中国史一覧

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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