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プロフィール
管理者:DN
愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。
愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。
文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。
主に小中学生に指導もしています。
東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。
豊臣秀頼とはー秀吉の子・大阪の陣
2018年6月6日
歴史で太字ではないけど知っておきたい人物
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w.sanbongi
豊臣秀頼
とよとみひでより
1593年~1615年
中学の教科書では、石田三成が豊臣秀頼の政権を守ろうと、関ヶ原の戦いを起こしたとあります。
豊臣秀頼は、豊臣秀吉の子で、母は織田信長の妹・お市の方の子の淀君(よどぎみ)です。
秀頼誕生時秀吉は57歳で、秀頼をサポートするために有力大名と秀吉直属の部下による五大老・五奉行の制度を作りました。
しかし秀吉死後、五大老筆頭の徳川家康が秀吉の決めたきまりを次々と破り、勢力を伸ばしていきます。
秀吉の友人で五大老として家康と肩を並べた前田利家死後、その傾向はさらに強まっていきました。
この状況を憂いた石田三成らが、徳川家康に対して関ヶ原の戦いをおこします。
この関ヶ原の戦いは豊臣家対徳川家ではなく、あくまで豊臣家の部下同士の戦いでした。
しかし、関ヶ原の戦いに勝利した家康は、五大老筆頭の名のもとに、豊臣秀頼を約60万石のいち大名にしてしまいました。
そして、家康は征夷大将軍となり、江戸幕府を開きます。
ただ秀頼は家康と対立していたわけではなく、秀頼は2代将軍・徳川秀忠の娘、つまり家康の孫と結婚しています。
その後、秀頼が再建した方広寺の鐘の字に「国家安康」と家康の名前が割って書かれたことに家康がクレームをつけます。
この方広寺鐘銘問題は、家康によるこじつけか、正当な反論かは意見が分かれます。
この問題がきっかけで豊臣家と徳川家は決裂し、2度の大阪の陣がおこります。
最初の大坂冬の陣では、真田幸村(信繁)らの活躍により、徳川家は苦戦、一度和議を結びました。
しかし和議はすぐに破れ、大阪夏の陣がおこり、秀頼は母の淀君らと自殺しました。
秀頼は、貧弱なイメージで描かれることも多いですが、実際は身長197㎝、体重161kgもあったとも書かれています。
現代でもかなり大きいですが、平均身長が160㎝なかった当時では、相当な大男になります。
家康はこの成長した秀頼を見て、徳川家の将来に危険を感じ、豊臣家を倒しておくべきだと考えたとも言われています。
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