南京事件をわかりやすく


南京事件

南京事件

 

1937年

教科書では、南京を占領する過程で、

一般人や捕虜をふくむ多数の中国人が殺害された事件とあります。

 

南京事件は、教科書にも書いてありますが、南京大虐殺とも呼ばれています。ただ被害者の数については、確定していません。

南京は当時の中国の首都で、過去には三国時代の呉が、建業という名で首都にしたり、明も首都にしています。

 

南京事件は、盧溝橋事件に端を発した日中戦争の中で起きた事件です。その戦場は上海から南京へと広がりを見せていました。

上海の戦い(第二次上海事変)では、日本軍は苦戦し、多くの死者を出しました。

このことによって日本軍が中国軍に対して感情的になり、南京事件につながったとも言われています。

その後、南京を包囲、日本軍は開城を要求しますが、中国側はこれを拒否したため、これを落としました。

このとき、南京の一般市民に対する暴力などがあったとされていますが、その数は調査によってかなり違います。

最も殺害が多かったのが、中国兵に対するものです。

ただこれが戦闘中におこったことなのか、戦闘後におこったことなのかで意見が分かれます。

そもそも戦争における兵を殺害することに対する意見も、さまざまです。

 

また、戦争にもスポーツのように、ルールが条約などで決められています。

しかし日中戦争は当時は、北支事変志那事変などと呼ばれ、戦争という位置付けではありませんでした。

このことが捕虜に対する扱いがあいまいになったりなどし、南京事件につながったという考えもあります。

第二次世界大戦後、南京事件を行ったとされる部隊の司令官は裁判にかけられ、多くは死刑になっています。

南京事件を命じたとされる人たちも、東京裁判によって処刑されました。

 

なお現在、日本政府は南京事件があったことは否定できないが被害者の数は諸説あり、認定することは困難であるとしています。

当時の中国のリーダーであった蔣介石が南京事件に全く触れていなかったことから、南京事件を否定する意見もあります。

また証拠写真がいくつかありますが、これらはねつ造であったと分析する意見もあります。

 

中学生が覚えておきたい歴史事件一覧

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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