桜田門外の変をわかりやすくー安政の大獄・井伊直弼・水戸浪士


桜田門外の変

 

さくらだもんがいのへん

江戸時代

 

 

桜田門外の変は、江戸幕府の大老・井伊直弼が行った安政の大獄に対する報復として、井伊直弼が暗殺された事件です。

事件の中心となったのは、水戸浪士で、水戸藩は井伊直弼が徹底的に弾圧した藩です。

家老は切腹、他の重役も斬首となり、前水戸藩主・徳川斉昭も永蟄居の処分となり、御三家への処分としては異例のものでした。

 

襲撃したのは18名で、井伊家側は60名ほどでした。

事件のあった日は3月でしたが、雪が降っており視界が悪く、襲撃する側に有利な状況でした。

井伊直弼は剣術も優れていたといわれていますが、銃で撃たれ、乗っていたかごから動けなくなりました。

何度もかごに刀を突き付けられたあと、かごの外に出され、首を切られました。

なお井伊直弼の首を取ったのは、襲撃者の中で唯一の薩摩藩士であった有村次左衛門でした。

井伊直弼の死は、しばらく隠され、公表されたのは約2か月後でした。

しかし血で染まった事件現場は、多くの人の目にするところとなり、すぐに江戸じゅうの知るところとなりました。

 

桜田門外の変に参加した浪士たちは、ほとんどは自ら命を絶つか、自首したあと、斬首されています。

一部生き残った人もいましたが、死ぬまでこのできごとについては語らなかったと言われています。

桜田門外の変は、ただ井伊直弼という人物が殺されただけではなく、その後に大きな影響を与えたと考えられています。

御三家のひとつである水戸家と譜代大名の筆頭である井伊家の対立は、幕府の権威を大きく失墜させるものでした。

その後、薩摩藩主・島津斉彬の弟・島津久光が江戸に入り、文久の改革を実施します。

これにより安政の大獄で謹慎となった松平慶永などが力を持ち、井伊家の彦根藩は減封され、そのポジションを失いました。

 

なお桜田門外の変を取り上げた小説はいくつかあり、映画化もされています。

比較的新しい作品だと、2010年大沢たかお主演の『桜田門外ノ変』が知られています。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

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