与謝野晶子をわかりやすくー『みだれ髪』「君死にたまふことなかれ」


与謝野晶子

与謝野晶子

 

よさのあきこ

1878年~1942年

 

 

教科書では、歌人の立場で戦争行為に疑問を投げかけた人物として、「君死にたまふことなかれ」の詩とともに登場します。

 

与謝野晶子は、本名は鳳志やう(ほうしょう)といい、結婚して与謝野になりました。晶子はペンネームです。

夫は、与謝野鉄幹(てっかん)で、詩歌を中心とした月刊誌『明星(みょうじょう)』を創刊した人物です。

『明星』には、北原白秋石川啄木らが参加し、その革新的な歌人・詩人たちは明星派と呼ばれました。

与謝野鉄幹は、当時無名だった晶子の才能を見出し、晶子の代表作となる歌集『みだれ髪』を刊行しています。

なお『みだれ髪』にのる歌の多くは、鉄幹への思いを歌ったもので、女性としての本能を歌ったものでした。

当時の道徳観からは到底受け入れられないものでしたが、世間からは熱狂的な支持を受けました。

 

晶子はこの作品により、ロマン主義の歌人としての地位を確立しました。

ロマン主義とは、感情の優位を強調、空想・恋愛を重視したもので、形式を打破し、個性の尊重と開放を主張しました。

明星派以外では、『文学界』を創刊した北村透谷(とうこく)や、『若菜集』『破戒』で知られる島崎藤村がいます。

このとき与謝野鉄幹は結婚していましたが、離婚し、晶子と再婚しました。ちなみに2人の間に子供は12人いました。

 

1904年には、『明星』に「君死にたまふことなかれ」が掲載され、日露戦争を批判したこの歌は論議を呼びました。

なおこの歌で歌われている戦地にいった弟は、無事帰還しています。

またこの歌のイメージが強いため、与謝野晶子は反戦主義者と思われがちです。しかし、戦争を応援する歌なども読んでいます。

自身の子供が戦争に行く際には、「君死にたまふことなかれ」とは全く反対の歌も読んでいます。

 

他にも『源氏物語』を新しく訳したことでも知られています。

女性教育の必要性を訴え、鉄幹らとともに日本で最初の男女共学の学校となった文化学院を創立しています(2018年閉校)。

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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