雪舟とはー相国寺の僧で、水墨画の人


雪舟

雪舟

 

せっしゅう

1420年~1506年

教科書は太字ではない

 

中学の教科書では、宋や元で盛んだった水墨画が、禅宗の僧を中心に描かれたとあり、欄外で雪舟が紹介されています。

 

雪舟(せっしゅう)は子どもの頃、京都の相国寺(しょうこくじ)で、周文(しゅうぶん)から水墨画を学びました。

相国寺とは、第3代将軍・足利義満が建てたお寺で、京都の最高位のお寺・京都五山のひとつです。序列は第2位になります。

水墨画は炭の濃さだけで描かれる絵で、中国で成立、日本には、鎌倉時代に禅とともに伝わっています。

よってもともとは禅の精神を表すためのものでしたが、相国寺の禅僧・如拙(じょせつ)がこれに自然を書きます。

瓢鮎図(ひょうねんず)』は山水画としての構成が見られ、如拙は日本水墨画の先駆者といわれています。

この弟子が周文で、如拙の水墨画を発展させ、そしてその弟子の雪舟が水墨画を完成させました。

 

雪舟は成長すると、守護大名である大内氏の保護を受け、今の山口市に職場として雲谷庵(うんこくあん)を作りました。

このころから、雪舟を名乗るようになったと言われています。

さらに大内氏の支援のもと、中国の明に行き、約2年間本場の水墨画を勉強・研究しました。

帰国後は主に雲谷庵に住みながら、各地を訪ねて日本の水墨画を完成させていきます。

晩年には天橋立(あまのはしだて)も書いています。

有名な作品として教科書にもある『秋冬山水図』(『山水長巻』とも)と『四季山水図』があります。

 

安土桃山時代には、狩野永徳(かのうえいとく)や狩野山楽(さんらく)らがお城のふすまや屏風に絵を書き、活躍しました。

その漢画系の一派は狩野派と呼ばれ日本絵画史上最大の画派となり、江戸時代まで約400年間活躍します。

この狩野派が雪舟を指示したことで、江戸時代に雪舟の作品は各大名などから大人気となりました。

さらにそののち、ソビエトとルーマニアでは、切手にもなっています。外国の切手になった初めての日本人になります。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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