東大寺の大仏とはー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語


東大寺大仏

東大寺の大仏

 

とうだいじのだいぶつ

奈良時代

 

 

教科書には、聖武天皇と光明皇后が、東大寺に金剛の大仏を造らせたと写真付きで紹介されています。

 

東大寺の大仏は、盧舎那大仏といい、東大寺の大仏殿にある仏像を指します。

一般的には、奈良の大仏と言われています。

盧舎那(るしゃな)とは、サンスクリット語(梵語)の「ヴァイローチャナ」で、華厳経の思想に基づいてつくられました。

華厳経(けごんきょう)とは、シャカの悟りを伝えた経典で、全世界は盧舎那仏そのものであるとしています。

 

743年に聖武天皇が、近江の紫香楽宮(しがらきのみや)で、盧舎那仏を造るよう発願しました(大仏造立の詔)。

その目的は国家の平安を願い、社会不安を取り除くためでした。

しかし、周辺で山火事などが相次いだため中止になり、747年平城京で再開しました。

このとき政府は民衆の支持を得るため、行基(ぎょうき)に協力を求め、大僧正に任じています。

実際に造った人物では、大仏師の国中公麻呂(くになかのきみまろ)が有名です。

752年に開眼供養大仏開眼会)を行い、聖武天皇光明皇后孝謙天皇ら1万数千人が参列しました。

 

ただ大仏造立には、莫大な工事費が必要だったようで、農民には大きな負担となったようです。

このことが聖武天皇が亡くなった後に起こった、橘奈良麻呂の変(たちばなのならまろ)の原因の一つとも考えられています。

1180年には、平清盛が息子の平重衡(しげひら)に命じた南都焼討ちにより、東大寺と大仏は焼失しました。

これを重源(ちょうげん)が中心となって、再建しました。

重源が再建に採用した様式を大仏様(だいぶつよう)といいます。

1567年には、松永久秀が再度焼討ち、これを1691年に公慶(こうけい)が再建し、これが現在の大仏になります。

なお、大仏の台座には、奈良時代当初のものが、まだ残っています。

 

 

※教科書とは、東京書籍の「新しい社会 歴史」になります。

 

 

奈良時代-歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい語句

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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