鳥羽上皇とはー中学生が覚えておきたい天皇・上皇8


鳥羽上皇

鳥羽上皇

 

とばじょうこう

1103年~1156年

続・院政

 

教科書では、白河上皇の次に院政を行った人物です。

鳥羽上皇没後、保元の乱と平治の乱という二つの内乱が起こったとあります。

 

鳥羽天皇白河上皇の孫で、父の堀河天皇が亡くなったため、わずか5歳で天皇になりました。

天皇在位中は白河上皇が院政を行い、崇徳(すとく)天皇に天皇の位を譲り上皇になっても、白河法皇が実権を握り続けました。

崇徳天皇は鳥羽上皇の子供ですが、本当の父親は白河法皇だったと言われています。

このことから鳥羽上皇は、崇徳天皇を遠ざけました。

そして白河法皇が亡くなると、鳥羽上皇が院政を行うようになります。

鳥羽上皇は白河法皇に近かった人たちを遠ざけ、自分の部下を重要な職につけました。

平清盛の父、平忠盛も重職につけており、このことが武士の地位を上げ、後の平家繁栄のきっかけになります。

 

鳥羽上皇は崇徳天皇を譲位させ、崇徳天皇の弟で崇徳天皇の養子になっていた近衛(このえ)天皇を天皇に即位させました。

このとき鳥羽上皇は近衛天皇を天皇の子としてではなく、弟として即位させ、崇徳天皇が院政を行えないようにしました。

(院政は、天皇の父か祖父が行うことになっていました。)

しかし、近衛天皇は若くして亡くなり、鳥羽上皇は孫で自身の養子となっていた後の二条天皇を、次の天皇にしようとします。

そのために二条天皇の父親(鳥羽上皇の第四皇子)を一時的に天皇にしました。この天皇が後白河天皇です。

そんな中、鳥羽上皇は亡くなり、この結果後白河天皇方と崇徳上皇方が対立、保元の乱につながっていきます。

 

このあたりは人間関係が複雑で、なかなかわかりにくいです。

これに藤原摂関家、平氏、源氏が加わりますが、似たような名前が多いため、さらにわかりにくくなります。

このあたりのことは大河ドラマ「平清盛」で詳しく描かれています(その複雑さから視聴率も悪かったですが・・・)。

 

 

中学生が覚えておきたい天皇・上皇一覧

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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