ビジュアル系の歴史
ビジュアル系の歴史
X JAPAN
LUNA SEA GLAY
L’Arc~en~Ciel 黒夢
ビジュアル系とは、具体的な定義はなく、とらえ方も人それぞれですが、ざっくりいうと化粧をしているロックバンドです。
現在はしていなくても、過去にしていた場合もこのジャンルとしてとらえられることがあります。
ここでは、ビジュアル系黄金期といわれたころに活躍し、売り上げもベスト5に入る上記の5組を取り上げています。
当初はビジュアル系をあまりいい意味でとらえないことも多く、ビジュアル系と呼ばれることを否定することもありました。
とくにラルク(中でもリーダーのtetsuya)は強く否定したため、このジャンルには含まれないことも多いです。
ビジュアル系を特集して話題になった『関ジャム』でも、ラルクは紹介されませんでした。
また黒夢も当初はビジュアル系でしたが、脱ビジュアル系をしていき、全盛期の見た目や歌はそのイメージが少ないです。
よってこのジャンルに含まれなかったり、このジャンルに含まれるとなぜ?と思われる人もいます。
もともとあいまいなジャンルでしたが、2016年に行われた「VISUAL JAPAN SUMMIT」がこのジャンルを改めて形作りました。
このイベントはX JAPANのYOSHIKIのもと、X JAPAN、 LUNA SEA、 GLAYが中心となって開催されました。
これにより改めてこの3組がビジュアル系の王道であり、黄金期を作ったバンドと認識させられました。
そして同時期に活躍したL’Arc~en~Cielのhydeと黒夢の清春の出演も発表されました。
LUNA SEA、GLAYはもともとYOSHIKIとつながりがありますが、ラルクと黒夢はYOSHIKIと関係性はありません。
YOSHIKIもhydeや清春といっしょになることがあるとは、黄金期と呼ばれた当時は思いもしなかったと発言しています。
このイベントにより、ビジュアル系はYOSHIKIを中心に、この5組がレジェンド的存在であることを改めて位置付けました。
YOSHIKIと清春の対談でも、この5組(正確にはラルクはhyde、黒夢は清春)をそう認識している発言が多く見られます。
もともとXとLUNA SEA、GLAY、インディーズから関係のあったhydeと清春の共演はいくつかの場面で見られています。
しかしこのころから、YOSHIKIとhyde、YOSHIKIと清春などの共演も多く見られるようになりました。
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寺内正毅をわかりやすくー朝鮮総督府・西原借款・米騒動
2018年10月10日
歴史で太字ではないけど知っておきたい人物
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w.sanbongi
寺内正毅
てらうちまさたけ
1852年~1919年
教科書では、藩閥の寺内正毅内閣が米騒動によって、退陣したと出てきます。
寺内正毅は、長州出身で幕末には、高杉晋作の奇兵隊にも参加しています。
西郷隆盛がおこした西南戦争では、前線での戦いを志願し負傷、これによって右手は動かなくなってしまいました。
日清戦争では、兵站の最高責任者、義和団事件でも、現地で活躍しました。
陸軍大将の桂太郎が組閣した桂内閣(第一次)では、陸軍大臣となりました。
その後の西園寺内閣(第一次)や桂内閣(第二次)でも陸相を務め、日清・日露戦争での功績から陸軍大将、元帥となりました。
韓国併合後、朝鮮を統治する機関として設置された朝鮮総督府の初代総督となり、日本の全権を担うこととなります。
そして朝鮮総督としての功績により、1916年内閣総理大臣となり、寺内内閣を組閣しました。
しかし寺内内閣は、非立憲的な藩閥政治を行い非難されます。
寺内がビリケン像(通天閣のが有名)に似ていたことから「ビリケン(非立憲)内閣」「ビリケン宰相」とも言われました。
また中国の軍閥政治家・段祺瑞(だんきずい)を支持し、西原亀三を派遣し多くの資金を貸しています。
これは西原借款(にしはらしゃっかん)と呼ばれ、中国の内乱を助長するものとして、内外から非難をあびました。
石井菊次郎はアメリカと協定し、アメリカは中国における日本の「特殊権益」、日本は中国の「門戸開放」を承認しました。
これは石井・ランシング協定といわれ、列国の利権獲得を排除しようとする主張の根拠となりました。
そしてシベリア出兵を行い、これによって米騒動が起き、その責任を取って寺内内閣は総辞職しました。
なお、寺内正毅の父は宇多田正輔といい、3男だった寺内正毅は母方の寺内家を継いだため、寺内といいます。
この宇多田家の子孫が、ミュージシャンの宇多田ヒカルにあたります。
よって、寺内正毅と宇多田ヒカルは遠い親戚関係にあると言われています。
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