カテゴリー: 教科書に出てくる『西郷どん』の登場人物


教科書に出てくる『西郷どん』登場人物一覧


西郷どん人物

教科書に出てくる『西郷どん』登場人物

 

※中高の教科書に出てくる人物は、太字にしてあります。

※青字は別途解説があります。

※亡くなった順に並べてあります。

 

調所広郷  1776~1848 竜雷太   薩摩藩家老。奄美大島などで砂糖の専売を実施するなどして、藩の財政を建て直した。

阿部正弘  1819~1857 藤木直人  老中首座。幕政の責任者として外交などで活躍。洋学所の設立など安政の改革を実施。

徳川家定  1824~1858 又吉直樹  江戸幕府第13代将軍。病弱で、子どもができなかったため、将軍継嗣問題が起きる。

島津斉彬  1809~1858 渡辺謙   薩摩藩主。幕末の四賢侯。鹿児島に反射炉をつくる。将軍継嗣問題では一橋慶喜を推す。

橋本左内  1834~1859 風間俊介  福井藩士。緒方洪庵に医学を学ぶ。将軍継嗣問題では一橋派で活躍。安政の大獄で刑死。

井伊直弼  1815~1860 佐野四郎  大老。日米修好通商条約に調印。安政の大獄を行う。桜田門外の変で暗殺された。

徳川斉昭  1800~1860 伊武雅刀  水戸藩主。一橋慶喜の父。尊王攘夷論を主張する。安政の大獄により蟄居する。

堀田正睦  1810~1864 朝倉伸二  老中首座。ハリスと日米修好通商条約を協議するが、天皇の許しが出ず失敗する。

徳川慶福  1846~1866 荒木飛羽  江戸幕府第14代将軍・徳川家茂。天皇の妹と結婚。第二次長州征伐のとき、病死。

坂本龍馬  1835~1867 小栗旬   土佐藩士。勝海舟に航海術を学ぶ。海援隊を組織。薩長同盟を仲介。京都で暗殺。

桂小五郎  1833~1877 玉山鉄二  長州藩士。維新の三傑。薩長同盟を結ぶ。維新後、版籍奉還、廃藩置県を行う。

西郷隆盛  1827~1877 鈴木亮平  薩摩藩士。維新の三傑。尊王攘夷運動で活躍。薩長同盟を結ぶ。西南戦争で敗れ自害。

大久保利通 1830~1878 瑛太    薩摩藩士。維新の三傑。維新後は藩閥政府の中心人物。紀尾井坂で暗殺。

岩倉具視  1825~1883 笑福亭鶴瓶 公家。薩長と共に討幕を目指す。明治政府では右大臣。岩倉使節団で欧米を視察。

島津久光  1817~1887 青木崇高  薩摩藩主・島津忠義の父で島津斉彬の弟。斉彬亡き後、公武合体の中心として活躍する。

松平慶永  1828~1890 津田寛治  福井藩主。松平春嶽とも。幕末の四賢侯。文久の改革で政事総裁職に任じられる。

勝海舟   1823~1899 遠藤憲一  幕臣。咸臨丸艦長。戊辰戦争では、西郷隆盛と会見し、江戸城の無血開城を実現。

西郷従道  1843~1902 錦戸亮   薩摩藩士。西郷隆盛の弟。明治政府では、海軍大臣、内務大臣を歴任。元帥海軍大将。

一橋慶喜  1837~1913 松田翔太  江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜。将軍継嗣問題では選ばれず。大政奉還を行う。

 

スポンサーリンク

 

 

 

島津久光とはー島津斉彬の弟・文久の改革・生麦事件


島津久光

島津久光

 

しまづひさみつ

1817年~1887年

演:青木崇高

 

島津久光は、第12代薩摩藩主・島津忠義の父で、第11代藩主・島津斉彬の弟です。

 

第10代藩主・島津斉興は、久光を次の藩主と考えていましたが、幕府の介入により、兄の斉彬が次の藩主となりました。

斉彬死後は、その遺言により、久光の子で斉彬の養子となっていた島津茂久(もちひさ・後の忠義)が藩主となりました。

そして、薩摩藩の実質的最高権力者として、小松帯刀を家老に任命、西郷隆盛大久保利通ら下級藩士を抜擢しています。

 

1862年には、公武合体派の中心として、兵を率いて江戸に行きました。

そして文久の改革を推進し、一橋慶喜を将軍後見職、松平慶永(春嶽)を政事総裁職にしています。

その帰りに、いっしょに行った薩摩藩士がイギリス人4名の久光の行列への非礼をとがめ、殺傷した生麦事件が起こっています。

これは薩英戦争に発展しますが、講和後、久光と茂久親子はかえってイギリスとの関係を深めています。

しかし、先代・島津斉彬から進められた公武合体は尊王攘夷派や討幕派が勢いを強めたため、失敗に終わりました。

その後第14代将軍・徳川家茂が亡くなり、一橋慶喜が第15代将軍・徳川慶喜となりました。

しかし、将軍・慶喜と有力大名である島津久光、松平慶永、山内豊信(容堂)伊達宗城の意見は対立します。

これにより久光は路線変更を余儀なくされ、薩摩藩は討幕派の中心となっていきます。

そして大政奉還と同じ日に、久光・茂久親子には、倒幕の密勅が下され、戊辰戦争へとつながっていきました。

 

明治維新後、島津久光は内閣顧問・左大臣にまでなっていますが、新政府のやり方には批判的でした。

廃藩置県廃刀令などにも、あからさまに反発的な行動をとっています。

71歳で亡くなりましたが、その維新への功績から葬儀は国葬で行われました。

島津忠義は鹿児島藩知事となりました。また、その孫は昭和天皇の皇后になっており、島津氏は皇室とも深い関係にあります。

 

スポンサーリンク

 

 

 

スポンサーリンク








プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

友だち追加