カテゴリー: 歴史で太字ではないけど知っておきたい人物


歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい人物一覧④


歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい人物一覧④

 

明治時代~昭和時代

※青字はクリックすると、別ページに詳しい説明があります。

 

 

田中正造  1841~1913 栃木県県会議員・議長・衆議院議員。足尾銅山鉱毒事件の解決を行う。天皇に直訴もしている。

岡倉天心  1862~1913 フェノロサとともに東京美術学校を設立。校長辞任後、美術団体・日本美術院を創立。

狩野芳崖  1828~1888 日本画家。岡倉天心・フェノロサに認められるが、東京美術学校開校前に死去。『悲母観音』。

高村光雲  1852~1934 彫刻家。仏像彫刻師・高村東雲の弟子。東京美術学校教授・『老猿』でシカゴ万国博覧会優賞。

萩原守衛  1879~1910 彫刻家。日本の近代彫刻の開拓者。ロダンに学ぶ。代表作は日本女性のブロンズ像『女』。

滝廉太郎  1879~1903 作曲家。ドイツに留学し、帰国後亡くなった。『荒城の月』『花』『箱根八里』。

二葉亭四迷 1864~1909 小説家。名前は「くたばってしまえ」から。言文一致体のさきがけ。ロシア文学を翻訳。『浮雲』。

与謝野晶子 1878~1942 歌人。日露戦争を批判した詩で知られる。夫は『明星』を創刊した与謝野鉄幹。『みだれ髪』。

北里柴三郎 1852~1932 細菌学者。破傷風菌の純粋培養に成功。伝染病研究所(のちの北里研究所)を設立。

寺内正毅  1852~1919 陸軍大将・元帥・朝鮮総督を経て首相となる。非立憲的藩閥政治を行い、米騒動で総辞職する。

原敬    1856~1921 立憲政友会総裁。首相として最初の政党内閣を組閣。平民宰相と呼ばれる。東京駅で刺殺。

吉野作造  1878~1933 東大教授。政治学者。黎明会のメンバー。新人会を指導。民本主義を主張する。

美濃部達吉 1873~1948 東大教授。貴族院議員。天皇機関説を唱えるが、非難され政治問題化(天皇機関説事件)。

加藤高明  1860~1926 二十一カ条の要求のとき外相。護憲三派内閣の首相。普通選挙法・治安維持法を制定する。

西田幾多郎 1870~1945 哲学者。西欧の哲学に東洋思想を加味した「西田哲学」を完成させる。『善の研究』。

柳宗悦   1889~1961 民芸運動の先駆者。民芸的工芸に注目し、陶磁器を再評価。朝鮮の芸術にも理解を深める。

志賀直哉  1883~1971 人道主義・個人主義を尊重した白樺派の一人。『暗夜行路』『城の崎にて』。

谷崎潤一郎 1886~1965 芸術至上主義を主張した耽美派の一人。谷崎文学を完成。『刺青』『痴人の愛』『細雪』。

小林多喜二 1903~1933 プロレタリア文学作家。労働運動に参加し、共産党に入党。『蟹工船(かにこうせん)』。

岸田劉生  1891~1929 洋画団体・春陽会に参加。『麗子五歳の像』『麗子像』『麗子微笑』など独自の芸域を完成。

竹久夢二  1884~1934 抒情画家。ロマン的女性風俗画は「夢二式美人」と呼ばれた。『黒船屋』。

 

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谷崎潤一郎をわかりやすくー耽美派・痴人の愛・刺青


谷崎潤一郎

谷崎潤一郎

 

たにざきじゅんいちろう

1886年~1965年

 

 

谷崎潤一郎は、近代日本文学を代表する小説家です。

芸術至上主義を主張し、白樺派と並ぶグループ・耽美派(たんびは)の代表作家と紹介されることもあります。

中学の教科書では、名前は出てきますが、作品や人物像などはまったく書かれていません。

 

学生時代はとても成績優秀で、東京帝国大学に進み、在学中に代表作のひとつ『刺青(しせい)』を発表しています。

刺青』は、刺青師の主人公・清吉が、刺青(入墨・いれずみ)を掘ったいち女性の姿を描いた作品です。

ちなみに古い作品が多いですが、何度も映画化、テレビドラマ化されています。

 

その後大学は中退しますが、執筆活動は続け、1914年に長編『痴人(ちじん)の愛』を発表、大きな反響を呼びました。

痴人の愛』は、主人公が、ナオミという少女を将来自分の妻にしようと育てていきます。

しかし次第にナオミに翻弄(ほんろう)されていくお話しです。こちらも三度、映画化されています。

太平洋戦争時には、『細雪(ささめゆき)』を発表します。

これは軍部から内容が戦争時に読む者ではないとされ、一時発売中止となりますが、のちにベストセラーとなっています。

細雪』は、日中戦争時の生活を描いたもので、大阪船場(せんば)の4姉妹のお話しです。

 

当時耽美派の代表作家である永井荷風(ながいかふう)も、谷崎潤一郎を大きく評価していました。

後輩にあたる芥川龍之介は、ライバル関係として評されることもあり、雑誌上で論争を起こしたことも有名です。

しかし2人は仲が悪かったわけではなく、いっしょに出掛けたりもしています。

なおこの2人の論争は、芥川龍之介の自殺によって、終焉しています。

『田園の憂鬱(でんえんのゆううつ』で知られる佐藤春夫も友人関係にありましたが、女性関係をめぐり一度絶縁しています。

その後関係は復活し、谷崎の妻を佐藤春夫が譲り受けたことは、当時新聞で報道されるほど、反響を呼びました。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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