岡村隆史(ナインティナイン)とはーお笑い第四世代の代表人物
岡村隆史
1970年7月3日
ナインティナイン
お笑い第四世代
岡村隆史は、ナインティナインのメンバーで、ボケ担当、吉本興業を代表する人物です。
身長が低いことや猿のような見た目が特徴で、このことを笑いにもつなげています。
お笑い第四世代の中で最も長きにわたり、活躍している人物です。
自分で世代のことを言う芸人は少ないですが、岡村隆史は自身をお笑い第四世代と、たびたび語っています。
立命館大学の二部に通っていたとき、高校の後輩だった矢部浩之に誘われ、お笑いの世界に入りました。
『ぐるぐるナインティナイン』や『めちゃイケ』で、人気を得ました。
『めちゃイケ』は同世代の芸人やタレントで構成された番組でしたが、その中心は岡村隆史でした。
とてもまじめな性格で、ビートたけしや内村光良もそうですが、普段は人見知りで物静かな存在と言われています。
そのまじめな性格からか、一時期体調不良(うつ病?)により、芸能活動を休止した時期もありました。
運動神経がよく、ダンスも得意です。「天然素材」や『めちゃイケ』でもこのダンスは見られました。
このことから、当初はしゃべりの芸人を目指していましたが、動きで笑いを取る芸風になっていきました。
映画にもたびたび出演しており、『無問題』や『てぃだかんかん』では、主役をつとめています。
他にも『踊る大捜査線』や『土竜の唄』で演じた役がよく知られています。
現在では1人での活動が多くなっています。NHKの『チコちゃんに𠮟られる!』や『おかべろ』などがあります。
独身芸人としても知られており、同じく独身芸人の今田耕司・又吉直樹との「アローン会」が話題となりました。
吉本興業以外だと、出川哲朗との共演が多く、プライベートでも仲がよいと言われています。
『6人の村人!全員集合』という特番では、ほとんど共演のなかったウンナンの内村光良と共演しています。
このとき、2人と親しい出川哲朗が電話での出演でしたが、間を取り持っていました。
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南京事件をわかりやすく
2018年7月9日
知っておきたい歴史事件
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w.sanbongi
南京事件
1937年
教科書では、南京を占領する過程で、
一般人や捕虜をふくむ多数の中国人が殺害された事件とあります。
南京事件は、教科書にも書いてありますが、南京大虐殺とも呼ばれています。ただ被害者の数については、確定していません。
南京は当時の中国の首都で、過去には三国時代の呉が、建業という名で首都にしたり、明も首都にしています。
南京事件は、盧溝橋事件に端を発した日中戦争の中で起きた事件です。その戦場は上海から南京へと広がりを見せていました。
上海の戦い(第二次上海事変)では、日本軍は苦戦し、多くの死者を出しました。
このことによって日本軍が中国軍に対して感情的になり、南京事件につながったとも言われています。
その後、南京を包囲、日本軍は開城を要求しますが、中国側はこれを拒否したため、これを落としました。
このとき、南京の一般市民に対する暴力などがあったとされていますが、その数は調査によってかなり違います。
最も殺害が多かったのが、中国兵に対するものです。
ただこれが戦闘中におこったことなのか、戦闘後におこったことなのかで意見が分かれます。
そもそも戦争における兵を殺害することに対する意見も、さまざまです。
また、戦争にもスポーツのように、ルールが条約などで決められています。
しかし日中戦争は当時は、北支事変、志那事変などと呼ばれ、戦争という位置付けではありませんでした。
このことが捕虜に対する扱いがあいまいになったりなどし、南京事件につながったという考えもあります。
第二次世界大戦後、南京事件を行ったとされる部隊の司令官は裁判にかけられ、多くは死刑になっています。
南京事件を命じたとされる人たちも、東京裁判によって処刑されました。
なお現在、日本政府は南京事件があったことは否定できないが被害者の数は諸説あり、認定することは困難であるとしています。
当時の中国のリーダーであった蔣介石が南京事件に全く触れていなかったことから、南京事件を否定する意見もあります。
また証拠写真がいくつかありますが、これらはねつ造であったと分析する意見もあります。
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