スポンサーリンク
カテゴリー
- 社会 (199)
- 歴史で知っておきたい戦争 (21)
- 覚えておきたい天皇・上皇 (13)
- 覚えておきたい徳川将軍 (8)
- 覚えておきたいテーマ別歴史 (18)
- 歴史で太字ではないけど知っておきたい用語 (52)
- 歴史で太字ではないけど知っておきたい人物 (44)
- 歴史で知っておきたい作品 (16)
- 知っておきたい中国史 (13)
- 知っておきたい歴史事件 (17)
- 知っておきたい能・狂言・歌舞伎 (3)
- アルファベット・漢字の略称 (4)
- 歴史教科書 新登場人物 (3)
- 地理 (1)
- 英語 (8)
- 国語 (2)
- 理科 (2)
- 中学・高校 (121)
- 東三河 (51)
- 愛知県公立高校入試 (22)
- 愛知県私立高校入試 (6)
- 愛知県高校入試で知っておきたい知識 (19)
- 知っておきたい中学・高校・大学・就職 (21)
- 定期テスト対策 (15)
- 職業 (42)
- 4年制大学を目指す職業 (32)
- 専門学校を目指す職業 (22)
- 高校卒業後就職を目指す職業 (11)
- 勉強にチョットだけ役立つドラマ・マンガ・ゲーム (11)
- いろいろな現代の歴史 (62)
- ビジュアル系の歴史 (12)
- 四天王の歴史 (6)
- ガンダムの歴史ー人物編 (8)
- お笑いの歴史 (36)
最近の投稿
- 2024年(令和6年度)愛知県公立高校入試問題 考察
- 東三河の主な高校の令和4年度(2022)第1回進路希望状況調査結果
- 令和4年度(2022年)愛知県公立高校入試問題Bグループ 考察
- 令和4年度(2022年)愛知県公立高校入試問題Aグループ 考察
- 愛知県令和3年度第1回進路希望状況調査結果ー東三河版・専門学科
- 愛知県令和3年度第1回進路希望状況調査結果ー東三河版・普通科
- 令和3年度(2021年)愛知県公立高校入試問題Bグループ 考察
- 令和3年度(2021年)愛知県公立高校入試問題Aグループ 考察
- 愛知県令和2年度第1回進路希望状況調査結果ー東三河版・専門学科①
- 愛知県令和2年度第1回進路希望状況調査結果ー東三河・普通科
プロフィール
管理者:DN
愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。
愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。
文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。
主に小中学生に指導もしています。
東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。
安政の大獄をわかりやすくー井伊直弼・一橋慶喜・吉田松陰
2019年4月8日
歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
No Comments
w.sanbongi
安政の大獄
あんせいのたいごく
江戸時代
安政の大獄とは、大老・井伊直弼が幕府の政策に反対する人たちを処罰し、その力を押さえようとした事件です。
1858年、1859年、元号でいう安政5年、6年に行われたため、安政の大獄と言われます。
安政の大獄は、江戸幕府第13代将軍・徳川家定に後継ぎがいないためにおこった「将軍継嗣問題」からきています。
このとき次の将軍に、一橋慶喜(よしのぶ)を推す一橋派と、徳川慶福(よしとみ)を推す南紀派とで対立が起きます。
この南紀派の筆頭が彦根藩主で、譜代大名の中でも最も力を持っていた井伊氏の井伊直弼でした。
井伊直弼は、最高職である大老に就任し、強引に徳川慶福(後の家茂)を将軍の後継ぎにします。
これに反対した一橋派の徳川斉昭(なりあき・慶喜の父)や、福井藩主・松平慶永(春嶽)は、直弼を問い詰めようとします。
しかし、直弼は逆に彼らを蟄居(ちっきょ)・謹慎(きんしん)処分にしています。
一橋派の薩摩藩主・島津斉彬は兵を動かしこれに反対しようとしますが、急死してしまいます。
こうしてこの動きに関わった人たちも、処罰の対象となりました。西郷隆盛もこの事件の影響で、島流しになっています。
この事件で亡くなった人物は、中学の教科書にも載っている吉田松陰(しょういん)が最も知られています。
多くの討幕派の人物を輩出した松下村塾(しょうかそんじゅく)を開いた人物で、死刑となっています。
他に松平慶永の家臣だった橋本左内(さない)も処刑、若狭小浜藩士・梅田雲浜(うんぴん)は獄中で病死しました。
一橋慶喜をはじめ、松平慶永・伊達宗城・山内豊信(容堂)ら一橋派の藩主クラスは謹慎処分となりました。
他にも朝廷の大臣クラスや、前関白なども処分の対象となり、その数は100人を超えました。
しかし、1860年、安政の大獄に怒った水戸藩士らによって、井伊直弼は殺害されます(桜田門外の変)。
これにより事態が収束、謹慎中だった一橋慶喜や松平慶永らが復帰し、公武合体へと進んでいきました。
スポンサーリンク
関連記事