愛知県公立高校入試平成31年度(2019年)2次募集者数ー東三河版
愛知県公立高校入試平成31年度(2019年)2次募集者数ー東三河版
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〇普通科 第1希望 推薦 第2希望 合計 募集数 倍率 2次募集数 .
福江 10(-36) 2(-2) 178(-8) 188(-44) 59 3.19(1.93) 1(26).
御津 56(-12) 5(-7) 226(-12) 282(-24) 120 2.35(2.56) 39(23).
蒲郡東 142(-32) 31(+0) 171(-29) 313(-61) 200 1.57(1.56) 28(29).
田口 1(+1) 0 (+0) 7(+4) 8(+5) 29 0.28(0.11) 29(27).
〇専門学科 第1希望 推薦 第2希望 合計 募集数 倍率 2次募集数 .
田口・林業 1(-6) 0 (+0) 10(+1) 11(-5) 35 0.31(0.55) 29(22).
宝陵・福祉 25(-2) 15 (+2) 32(+9) 57(+7) 40 1.43(1.25) 12(12).
御津・国際 29(+2) 14 (+2) 22(+0) 51(+2) 40 1.28(1.23) 9(9).
国府・商業 35(-12) 22(-8) 17(+9) 52(-3) 40 1.30(1.38) 5(0).
豊川工業 199(-36) 101(-38) 203(-9) 402(-45) 240 1.68(1.86) 13(0).
昨年度2次募集があったが、今回なかった学校
豊橋西、渥美農・食品、作手・農業.
※カッコ内は第1希望、第2希望、合計は、昨年度(平成30年度)の数との増減。倍率は昨年度(平成30年度)の数。
※2次募集のカッコ内は、昨年度の2次募集者数。
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徳川四天王とはー四天王の歴史
2019年3月24日
四天王の歴史
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w.sanbongi
徳川四天王
徳川家康
酒井忠次 本多忠勝 榊原康政 井伊直政
酒井忠次(さかいただつぐ)は、古くから徳川家康に仕えた人物で、徳川四天王の筆頭とされることが多いです。
家康が小さい時に今川義元の人質になった際も、家康に同行して家康を支えています。
豊臣秀吉の時代には、家康第一の重臣とされ、そのとき最高位の冠位も与えられています。
ただ家康の嫡男であった松平信康の切腹を防げなかったことから、他の四天王と比べてあまりよく描かれないことも多いです。
本多忠勝(ほんだただかつ)は、小さいころから徳川家康に仕えており、徳川家随一の猛将とされる人物です。
その勇猛ぶりは、織田信長や豊臣秀吉も称賛していたと言われています。
長篠の戦いなど武田軍との戦いで活躍し、その名が知られるようになりました。
大きな槍(蜻蛉切・とんぼきり・天下三名槍のひとつ)を使ったことで知られ、鹿の角をあしらったかぶとも有名です。
榊原康政(さかきばらやすまさ)は、同年齢だった本多忠勝とともに活躍した人物です。
忠勝より武勇は劣るが、指揮能力は優れていたとされ、忠勝との対比から冷静な人物として描かれることが多いです。
徳川家康と豊臣秀吉が戦った小牧・長久手の戦いで活躍、秀吉方の有力武将たちを討ち取っています。
徳川家が関東にうつった際には、忠勝同様、10万石を与えられ、関東総奉行となっています。
井伊直政(いいなおまさ)は、徳川四天王の中では最も若いですが、武勇・政治・外交とあらゆる分野で活躍した人物です。
武田家で有名な朱色の軍装を引き継ぎ、のちに「井伊の赤備え」として知られるようになります。
徳川家が関東にうつった際には、徳川家の家臣の中で最高の12万石を与えられています。
関ヶ原の戦いでは、東軍指揮の中心として活躍、関ケ原の戦い最初の戦闘を行った人物としても知られています。
直政死後も、井伊氏は江戸幕府の中心として大老の職に就くなど、幕末まで活躍しています。
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