カテゴリー: お笑いの歴史
ザ・ドリフターズとはーお笑いの歴史
ザ・ドリフターズ
いかりや長介(リーダー)、高木ブー、仲本工事、加藤茶、志村けん。
お笑い第一世代
ザ・ドリフターズは5人組の、お笑い第一世代を代表するコントグループです。通称ドリフ。
『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』で人気を得ます。
当初は音楽バンドとして活動していましたが、コミックソング、そしてコントをメインとするグループになっていきます。
当初のメンバーで残ったのは、いかりや長介と加藤茶のみで、その後3人を加え5人での活動になります。
最初は志村けんではなく、荒井注がメンバーでした。
荒井注脱退の際、見習いだった志村けんが正式メンバーとして加入しています。
コントスタイルは、アドリブなしで完成された作品を披露するもので、コント55号とは真逆のコントスタイルでした。
これは当時人気を二分したコント55号に対抗するため、あえてそうしたとも言われています。
志村けん加入前は加藤茶、加入後は志村けんと加藤茶をメインとするコントが多いです。
志村けんの「東村山音頭」、加藤茶・志村けんのひげダンスなどが人気になりました。
もともと音楽バンドだったため、音楽を使ったコントもあり、体を張ったコントも多いです。
また下ネタや食べ物を粗末にするネタも多かったため、PTAなどからの非難の対象となりました。
素人を使った笑いはしておらず、これも萩本欽一の笑いとは真逆になります。
徐々にいかりや長介と加藤茶・志村けんの考え方に、違いが見られるようになります。
さらに『ひょうきん族』に人気を取られ、『全員集合』が終了、ドリフとしての活動は減少していきます。
その後は、加藤茶と志村けんは、そのままお笑い番組を続けていきます。
他の3人は、俳優業など別の場での活躍が多くなっていきます。
2004年にリーダーのいかりや長介が死去。解散はせず、現在は4人がメンバーになっています。
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志村けんとはーお笑いの歴史
2017年12月31日
お笑いの歴史, いろいろな現代の歴史
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w.sanbongi
志村けん
しむらけん
1950年2月20日生まれ
お笑い第一世代
志村けんはいかりや長介に弟子入りし、荒井注の脱退によりザ・ドリフターズのメンバーになります。
ドリフの人気番組『8時だョ!全員集合』終了後も、お笑いをメインに現在まで活動を続けています。
自分の名前のついた人気冠番組を多数つくったため、お笑い第一世代の代表人物にも挙げられます。
ただし、24歳でドリフに入っているため、お笑い第二世代のタモリやビートたけしより年下になります。
ドリフの『全員集合』終了後、加藤茶とともに同じ時間帯で『加トチャンケンチャンごきげんテレビ』を始めます。
『全員集合』はビートたけしや明石家さんまの『オレたちひょうきん族』の人気により、番組終了に追い込まれました。
しかし今度は『ごきげんテレビ』が人気になり、『ひょうきん族』を終了に追い込んでいます(土曜20時戦争)。
『志村けんのだいじょうぶだぁ』では、変なおじさんやひとみばあさんのキャラクターを有名にしました。
『全員集合』で演じていたバカ殿を独立させた、『志村けんのバカ殿様』は現在でも放送されています。
『全員集合』終了後も、基本は作りこまれたコントをベースに活動をしています。
現在でも、NHKで『となりのシムラ』というコント番組を不定期で行っています。
コントのネタはお色気ネタや下ネタが多く、特に多かった『バカ殿様』は親が子供に見せたくない番組の常連でした。
『となりのシムラ』でもNHKなので、押さえていますがその要素は見られます。
一方、トーク番組は苦手なため、過去にはほとんどありませんでした。
しかし、現在では『志村どうぶつ園』などで素の部分も見せています。
女優や女性タレントとたびたび噂になっていますが未婚で、大物独身タレントの代表としてもよく名前がでてきます。
近年では、お笑い界の重鎮として、ゲスト出演やお笑いコンテストの審査員を務めることも多いです。
『志村魂(しむらこん)』という舞台でのコントも、たびたび上演しています。
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