カテゴリー: お笑いの歴史
お笑い第一世代とはーお笑いの歴史
お笑い第一世代
テレビで初めて活躍したお笑い芸人の世代を指します。
ただし、その定義はあいまいで調べたものによっても違います。
・第一世代の主なお笑い芸人、コンビ、グループ。
コント55号 萩本欽一、坂上二郎のコントコンビ。数多くの冠番組を持ち、お笑い芸人の地位を向上させる。
萩本欽一 代表番組『欽ドン』『どこまでやるの』。各番組の視聴率を足して、「視聴率100%男」と言われる。
坂上二郎 代表的ギャグ「飛びます!飛びます!」。コント55号活動休止後は、俳優、歌手として活躍する。
ザ・ドリフターズ いかりや長介(リーダー)、高木ブー、仲本工事、加藤茶、志村けんのコントグループ。
志村けんの前は荒井注がメンバー。代表番組『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』。
いかりや長介 愛称、長さん。「オイッスー!」「次、行ってみよう」「だめだこりゃ」のフレーズで知られる。
ドリフでは主にツッコミ担当。俳優としても活躍し、特に『踊る大捜査線』シリーズの和久刑事役が有名。
高木ブー 体形や動きで笑いをとる。『ドリフ大爆笑』の雷様のコントの主役。ウクレレ奏者としても知られている。
仲本工事 マット体操のコントや、いかりやとの「ばか兄弟」で知られる。ドリフの時は黒縁メガネを着用している。
加藤茶 ドリフコントの中心人物。代表ギャグ「加トちゃんぺ」「ちょっとだけよ」「ひっきしっ(くしゃみ)」。
ハゲヅラ、マルメガネ、チョビヒゲスタイルがよく知られている。俳優、歌手としても活躍。
志村けん 後期ドリフコントの中心人物。代表番組『ごきげんテレビ』『だいじょうぶだぁ』『バカ殿様』。
桂三枝 現在は六代目桂文枝。数多くの番組で司会を務める。西川きよしとともに吉本興業の頂点に君臨している。
代表ギャグ「いらっしゃーい!」「オヨヨ」。「たたいて・かぶって・じゃんけんポン」を考案。
西川きよし 漫才コンビ「やすしきよし」として漫才ブームの先駆けとなる。桂三枝とともに吉本興業の頂点に存在する。
「小さなことからコツコツと」のフレーズでも知られている。妻はタレントの西川ヘレン。
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タモリとはーお笑いの歴史
2018年1月14日
お笑いの歴史, いろいろな現代の歴史
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w.sanbongi
タモリ
1945年8月22日生まれ
お笑いBIG3
タモリの本名は森田一義(もりたかずよし)です。タモリの芸名はその名字の順番を入れ替えたものです。
お笑いBIG3の1人として、長くテレビで活躍しています。
テレビに出るときは常にサングラスをしています。他の芸能人からは「タモさん」とよく呼ばれています。
BIG3では一番年齢が上のため、よく一番最初に名前が挙げられますが、実際は芸能界デビューが30歳と遅めでした。
よって、実際はビートたけしや明石家さんま、笑福亭鶴瓶の方が芸能界では先輩にあたります。
音楽や料理、鉄道、地形など多彩な趣味を持ち、お笑いに固執していないところが、タレントとしての幅も広げています。
サラリーマンをしながら芸能活動をしていましたが、マンガ家の赤塚不二夫に気に入られ、居候するようになります。
後に赤塚が亡くなった際には「私もあなたの数多くの作品のひとつです。」と実際は白紙の弔辞を読んで、話題になりました。
そして、その赤塚不二夫の後押しもあり、芸能界入りします。
当初は、黒い眼帯をしたスタイルでした。
今でもたまにしますが、イグアナのものまねや、でたらめな言語など、本来マニアックな芸風でした。
その後、徐々に知的な番組の司会も増えていきます(最終学歴は早稲田大学中退です)。
ただこのときはまだ下ネタも多く、深夜番組のイメージの強いタレントでした。
しかし「笑っていいとも!」の司会に大抜擢されたことにより、その地位を確立、BIG3の1人と呼ばれるようになっていきます。
これによって、「NHK紅白歌合戦」で初の、NHKアナウンサー以外の総合司会にも起用されています。
その後、「タモリ倶楽部」や「ミュージックステーション」も始まり、これらの番組は現在も続いています。
代表番組「笑っていいとも!」は2014年に最終回を迎えますが、昼の通常回にはビートたけしがゲスト参加しました。
さらに夜の回には、さんま、笑福亭鶴瓶、とんねるず、ダウンタウン、ウンナン、ナイナイ、爆笑問題が一堂に会しています。
このことはお笑い界の「奇跡の競演」とされ、タモリの偉大さを改めて知らしめる出来事になりました。
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