カテゴリー: 社会
徳川吉宗がしたことー歴史で中学生が覚えておきたい徳川将軍4
徳川吉宗
とくがわよしむね
第8代将軍
1684年~1751年
享保の改革を行った人物で、質素・倹約、上げ米の制、新田開発、公事方御定書、目安箱の設置など覚えることも多いです。
享保の改革を含む三大改革は入試でもとてもよく出題されるため、中学生にとっては家康よりも重要な人物かもしれません。
徳川吉宗は第7代将軍徳川家継が8歳で亡くなったため、御三家の一つ、紀伊藩主から徳川将軍になりました。
吉宗の「吉」は第5代将軍徳川綱吉の「吉」で、実際に吉宗は天和の治を行った綱吉を尊敬していたと言われています。
将軍に就任すると、当時の実力者新井白石を罷免、その政治を否定し、享保の改革を推し進めていきます。
「公事方御定書」を作り司法制度を改革、株仲間を公認し、商業統制を行います。
米の値段の安定に努めたことから、米将軍(米公方)と呼ばれ、徳川幕府中期でもっとも優れた将軍とされています。
倹約令は江戸初期から出されていましたが、享保の改革では特に厳しく、吉宗自身も倹約家で知られています。
目安箱の投書をきっかけに、小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)を作りました。
町火消(まちびけし)という消防組を作ったことでも有名です。
文治政治で衰えていた武芸に力を入れ、実学を推進します。漢訳洋書の輸入緩和はその一つです。
青木昆陽(こんよう)に蘭学を学ばせ、甘藷(さつまいも)の栽培を勧めています。
朝鮮人参の国産化にも成功しています。
長男である徳川家重に第9代将軍を譲りますが、家重の言語が不明瞭であったため、大御所として実権を握り続けます。
68歳で亡くなりました。吉宗死後は施政も後退していき、田沼時代へと移っていきます。
よく平日午前中に再放送されている松平健主演のテレビ時代劇「暴れん坊将軍」とは、この徳川吉宗のことです。
「大岡越前」で有名な大岡忠相(おおおかただすけ)も、吉宗が抜擢した江戸町奉行です。
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徳川光圀とはー中学歴史の教科書 新登場人物3
2017年10月4日
社会, 歴史教科書 新登場人物
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w.sanbongi
徳川光圀とはー中学歴史の教科書 新登場人物3
教科書では、御三家の一つ水戸藩の藩主で、「大日本史」の作成をした人物として登場します。
徳川光圀は水戸黄門として有名です。家康の孫にあたり、光圀の「光」は第3代将軍徳川家光の「光」になります。
「大日本史」とは、日本の歴史書で、作り始めたのは光圀ですが、最終的な完成は明治時代になります。
このことが時代劇「水戸黄門」を作ることになります。
ただ、実際には光圀は日本の色々なところへは、旅していないと言われています。
名台詞に「先の副将軍・・・」というのがありますが、副将軍という位も実在しません。
ただ黄門とは、中納言の意味なので実際本当に位の高い人物でした。
時代劇「水戸黄門」でも当初は「先の中納言・・・」と言っていたようです。
その「大日本史」の編纂から、水戸学という尊王論を唱える学風が生まれ、これが江戸時代後期に尊王攘夷論になります。
幕末で活躍した人物たちもこの考えを学び、明治維新へとつながっていきます。
その他のエピソードとして、第5代将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」を完全否定した人物でもあります。
日本で初めてラーメンを食べた人物とも言われています。
第4代将軍徳川家綱、第5代将軍徳川綱吉の2代に仕え、当初綱吉将軍就任の際は、綱吉を推しています。
しかし、その後、綱吉の後継をめぐっては綱吉と対立、そのさなかで亡くなってしまいました。
※教科書とは東京書籍の「新しい社会 歴史」になります。
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