カテゴリー: 歴史で知っておきたい作品
大日本史(江戸時代)ー歴史で中学生が知っておきたい作品
大日本史
だいにほんし
江戸時代
徳川光圀
教科書では、御三家のひとつ水戸徳川家の徳川光圀が、全国から学者を集めて作成されたものとあります。
『大日本史』は全部で597巻226冊あります。
徳川光圀(とくがわみつくに)は、『大日本史』を作成するための史局「彰考館(しょうこうかん)」を江戸藩邸に作ります。
史局員は、全国各地に派遣されて、資料調査を行っています。
このことが、「水戸黄門(みとこうもん)」の由来とされています。
徳川光圀死後の1715年に、完成しました。
そのときの水戸藩主・徳川綱條(つなえだ)によって『大日本史』と名付けられました。
しかし、その後も改定作業がたびたび行われ、明治時代の1906年まで編集作業は続きました。
具体的には、神武天皇から後小松天皇まで、100代の天皇の治世が漢文体で書かれています。
史実考証にも優れており、天皇についてで73巻、それ以外の皇后・妃や皇子、群臣などの列伝も170巻あります。
『日本書紀』などは、出来事を年代順に記していく編年体(へんねんたい)を用いています。
これに対し『大日本史』は、中国の『史記』に用いられた、個人のことをまとめて紹介していく紀伝体を用いました。
大義名分論(たいぎめいぶんろん)が貫かれており、水戸学は後の幕末思想に大きな影響を与えました。
大義名分論ー尊王の考えから、南北朝時代は、足利尊氏が擁立した北朝ではなく、後醍醐天皇の南朝を正統としています。
天智天皇の皇子で、壬申の乱で後の天武天皇に敗れた大友皇子を弘文天皇(こうぶんてんのう)として皇位に加えています。
応神天皇を産み約70年間摂政を行ったとされる神功皇后(じんぐうこうごう)を、皇位から除いています。
ちなみに神功皇后は、江戸時代までは卑弥呼のことだと考えられていました。
これら3つのことは、『大日本史』の三大特筆と言われています。
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奥の細道(江戸時代)ー歴史で中学生が知っておきたい作品
2018年2月5日
社会, 歴史で知っておきたい作品
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w.sanbongi
奥の細道
おくのほそみち
江戸時代
松尾芭蕉
教科書では、元禄文化のころ、松尾芭蕉が俳諧で新しい作風を生み出し、『奥の細道』などを執筆したとあります。
『奥の細道』は1689年に松尾芭蕉が門弟である曾良と江戸を出発し、東北、北陸を経て、美濃大垣に至るまでの旅行記です。
日数にしておよそ150日間の旅になります。
「月日は百代の過客にして 行きかふ年も又旅人なり」から始まります。
1689年の春に江戸にある芭蕉の草庵を門弟の曾良と出発し、「草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家」を詠んでいます。
そこから、日光街道を使って草加・日光・そして現在では芭蕉の里で有名な城下町黒羽(くろばね)に行きます。
ここから、奥州に入り、仙台へと行き、日本三景の1つとされる松島に行っています。
平泉では、国語でも習う「夏草や 兵どもが 夢のあと」の句を詠んでいます。
そして奥州山脈を越え、出羽の寺に立ち寄って、「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」を詠んでいます。
最上川を下って、奥の細道では最も北になる象潟(きさかた)につきます。
ここから折り返して、日本海岸沿いを下っていき、富山、金沢、福井、そして美濃大垣で終わっています。
教科書では、作者の松尾芭蕉が俳諧で新しい作風を生み出したとあります。
この作風を、蕉風(正風・しょうふう)といいます。
しおり・さびなどの新しい美意識に基づく作風で、俳諧を芸術的に完成させました。
他にも鳴海・熱田・伊良湖・名古屋を経て、伊勢神宮を参拝した『笈の小文(おいのこぶみ)』が有名です。
門人たちが編集し、芭蕉一派の最高の句集とされる『猿蓑(さるみの)』も知られています。
松尾芭蕉は伊賀の生まれで、『奥の細道』では46歳で1日数十キロ歩いており、旅行のスピードがとても速かったそうです。
また、当時入手困難な通行手形を取得できたこと、旅の資金に困っていないことなどから、忍者だったという説もあります。
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