カテゴリー: 歴史で知っておきたい作品
平家物語(鎌倉時代)ー歴史で中学生が知っておきたい作品
平家物語
へいけものがたり
鎌倉時代
琵琶法師
教科書では、源平の争乱での武士の活躍をえがき、盲目の琵琶法師によって語り継がれたとあります。
『平家物語』は鎌倉時代の軍記物語で、信濃前司行長が書いたとされていますが、はっきりとはわかっていません。
軍記物語とは、このころ発達した戦争を題材にした文学で、和漢混交文で書かれているのが特徴です。
後に庶民の間でも「語り物」として愛好され、『平家物語』も琵琶法師が平曲として、語り継ぐことで普及しています。
ストーリーは簡単に書こうとすると、ただの歴史の流れを書くことになりますが、実際は仏教的無常観をもとに描かれています。
『平家物語』というタイトルなので、平家の興亡が物語の中心ですが、その後の源義経のことまで書かれています。
最初は平清盛が話の中心で、後白河法皇のもと、太政大臣にまでなり、権力を握ります。そして清盛は、福原に都を移します。
源頼朝は伊豆で平家に対し、挙兵します。
水鳥の羽の音を源氏の軍と間違えて、平家が敗れる場面がよく知られています。
清盛は南都を焼いたことなどが原因で病死します。
源頼朝の首を墓前に持ってくるよう、遺言したと書かれています。
次は源頼朝のいとこである源(木曽)義仲が話の中心で、北陸の平家を滅ぼして、京を占領します。
平家は清盛の孫である安徳天皇とともに、四国へ逃げます。義仲は征夷大将軍に任じられますが、公家から不人気でした。
これに対し、頼朝は弟の源範頼、源義経を派遣し、彼らが宇治川の戦いで義仲を倒します。義仲は敗死しました。
そして範頼、義経はさらに一の谷の戦い、屋島の戦いで平家を次々と破りました。
屋島の戦いは那須与一が扇の的を射るところがよく知られており、中学でも国語で習うかと思います。
さらに壇ノ浦の戦いでも平家を破り、平家は滅亡、安徳天皇は、清盛の妻に抱かれ、宝剣などとともに入水しました。
平家滅亡後、義経は兄の頼朝と仲が悪くなり、奥州藤原氏を頼りますが、藤原泰衡に攻められ、亡くなります。
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徒然草(鎌倉時代)ー歴史で中学生が知っておきたい作品
2018年1月22日
社会, 歴史で知っておきたい作品
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w.sanbongi
徒然草
つれづれぐさ
鎌倉時代
兼好法師
教科書では、兼好法師(けんこうほうし)が書いた随筆集で、当時のいきいきとした民衆の姿を取り上げたとあります。
『枕草子』と並ぶ日本を代表する随筆で、『枕草子』『方丈記』とともに日本三大随筆とも言われています。
『徒然草』の作者の兼好法師は、吉田兼好や卜部兼好(うらべのかねよし)という名前でも出てきます。
歌人としても知られており、南北朝時代の和歌四天王である「為世門の四天王」の一人です。
30歳のころ出家して、名前を音読みした兼好(けんこう)を名乗りました。
「徒然(つれづれ)」は序段の文にも出てくる言葉ですが、「することがなく、退屈」という意味です。
「草」とは、今でいうノートのようなものになります。
243段(序段を含めると244段)で、できています。
鎌倉時代の1330年頃成立したと言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。
文学的には、世俗を逃れて山野で暮らした人が書いた作品ー隠者文学(いんじゃぶんがく)と位置付けられています。
また文学においてだけでなく、歴史学においても当時の社会を知る大事な史料となっています。
内容は多岐にわたり、無常観(むじょうかん)に基づいて、人生観や人間、自然、社会のことなどが書かれています。
統一性がない主張がされているところもありますが、その自由さが評価されているところでもあります。
兼好法師がお坊さんだったこともあり、僧侶(そうりょ)に関する話が多いです。
中学生は国語で「仁和寺にある法師」を習うかと思いますが、それ以外にも仁和寺に関する話は掲載されています。
ただし『徒然草』が有名になったのは室町時代、江戸時代と言われています。
江戸時代には挿絵付きのものも登場しています。
民衆なども題材になっているため、江戸時代の町人にも受け入れやすかったためと考えられています。
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