義和団事件をわかりやすくー歴史で中学生が知っておきたい事件


義和団事件

義和団事件

 

1900年~1901年

教科書では、清政府が列強に宣戦布告した事件として紹介しています。

太字です。

 

義和団事件は、北清事変(ほくしんじへん)とも言い、日本史だけでなく、世界史・中国史にも出てくる重要な事件です。

義和団とは、義和拳という武術を行う宗教の集団で、白蓮教(びゃくれんきょう)という宗教の一派とも言われています。

山東半島へのドイツ進出とキリスト教布教に対する反感から、「扶清滅洋」をスローガンに反乱を起こしました。

教科書にもありますが「扶清滅洋」とは、清を扶(たす)けて洋(外国勢力)を討ち滅ぼすという意味です。

義和団は、貧しい農民や流民、失業者を吸収し勢力を拡大、北京にまで侵入してきました。

このとき、日本とドイツの外交官を殺害しています。

 

当時の清の最高権力者・西太后(せいたいごう)はこの義和団の行動を支持、これに便乗して欧米列国に宣戦布告しました。

対して日本・ロシア・イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリアが8か国連合軍として出兵します。

ただしイギリス・アメリカなどは他にも戦争をしていて余裕がなく、地理的なことからも主力は日本とロシアでした。

連合軍は約2か月で北京を占領、西太后は一転して義和団の弾圧を主張、連合軍との和議を進めました。

結局、義和団事件は清の王朝に利用され、裏切られ、失敗するという結果に終わりました。

 

1901年、清は連合軍や他に参戦した国と、北京議定書(ぺきんぎていしょ・辛丑和約とも)で講和しました。

賠償金は4億5000万両(清の歳入は約9000両)、北京駐兵権を列国が取得し、中国は半植民地となりました。

これによって、中国の民衆の不満は清に向けられるようになります。

 

またこの事件は、主力で戦った日本とロシアの対立を生むことにもなりました。

ロシアは事件後も大軍を満州にとどめ、韓国を勢力範囲にいれることを狙っていました。

イギリスは日本に期待し、このことがのちの日英同盟日露戦争へとつながっていきます。

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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