志村けんとはーお笑いの歴史
志村けん
しむらけん
1950年2月20日生まれ
お笑い第一世代
志村けんはいかりや長介に弟子入りし、荒井注の脱退によりザ・ドリフターズのメンバーになります。
ドリフの人気番組『8時だョ!全員集合』終了後も、お笑いをメインに現在まで活動を続けています。
自分の名前のついた人気冠番組を多数つくったため、お笑い第一世代の代表人物にも挙げられます。
ただし、24歳でドリフに入っているため、お笑い第二世代のタモリやビートたけしより年下になります。
ドリフの『全員集合』終了後、加藤茶とともに同じ時間帯で『加トチャンケンチャンごきげんテレビ』を始めます。
『全員集合』はビートたけしや明石家さんまの『オレたちひょうきん族』の人気により、番組終了に追い込まれました。
しかし今度は『ごきげんテレビ』が人気になり、『ひょうきん族』を終了に追い込んでいます(土曜20時戦争)。
『志村けんのだいじょうぶだぁ』では、変なおじさんやひとみばあさんのキャラクターを有名にしました。
『全員集合』で演じていたバカ殿を独立させた、『志村けんのバカ殿様』は現在でも放送されています。
『全員集合』終了後も、基本は作りこまれたコントをベースに活動をしています。
現在でも、NHKで『となりのシムラ』というコント番組を不定期で行っています。
コントのネタはお色気ネタや下ネタが多く、特に多かった『バカ殿様』は親が子供に見せたくない番組の常連でした。
『となりのシムラ』でもNHKなので、押さえていますがその要素は見られます。
一方、トーク番組は苦手なため、過去にはほとんどありませんでした。
しかし、現在では『志村どうぶつ園』などで素の部分も見せています。
女優や女性タレントとたびたび噂になっていますが未婚で、大物独身タレントの代表としてもよく名前がでてきます。
近年では、お笑い界の重鎮として、ゲスト出演やお笑いコンテストの審査員を務めることも多いです。
『志村魂(しむらこん)』という舞台でのコントも、たびたび上演しています。
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鑑真とはー中学生は木像の写真で覚える
2018年1月3日
社会, 歴史で太字ではないけど知っておきたい人物
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w.sanbongi
鑑真
がんじん
688年~763年
教科書は太字ではない
中学の教科書では、日本に渡ろうとして何度も遭難し、盲目になったが、来日後、正しい仏教の教えを広めたとあります。
鑑真は中国・唐の僧侶で、律宗(りっしゅう)という仏教宗派の日本における開祖です。
律宗とは、戒律を自ら実践することが、成仏の因と説く宗派です。
南都六宗(なんとろくしゅう)といわれる、奈良仏教の6学派のひとつです。
戒律とは、僧侶や尼が守るべき、一定の規範のことです。戒は心の規律、律は行動の規律を表します。
当時の日本は聖武天皇の時代で、仏教が盛んでしたが、仏教に対する正しい理解がありませんでした。
そのため、勝手にお坊さんや尼さんになる人、つまり自称お坊さんが続出したそうです。これを私度僧といいます。
このため、鑑真は日本から唐にやってきた僧に、戒律を日本で伝えてほしいと頼まれます。
しかし、中国から出ることは禁止されており、弟子の裏切りや、暴風などにあい、4回渡来に失敗します。
5回目の渡来では、失敗するだけでなく、両目を失明、盲目になってしまいました。
なお失明した理由についてははっきりしておらず、実は失明していなかったという意見もあります。
6回目、鑑真66歳のとき、ようやく遣唐使にともなわれて渡来に成功し、戒律を日本に伝えます。
また、東大寺に初めて僧侶に戒律を授ける儀式(授戒)を行う場所(戒壇)を、設けています。
そして、聖武上皇、孝謙天皇らに授戒をしました。
その後、自ら唐招提寺を創建し、76歳で亡くなりました。
鑑真は彫刻や薬草にも詳しく、これらの知識も鑑真によって伝えられました。
鑑真は教科書にも載っていますが、目をつぶって、座禅をしている木像で知られています。
この木像は、鑑真の死を惜しんだ弟子によって造られたもので、日本で最も古い木像と言われています。
※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。
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