萩本欽一とはーお笑いの歴史
萩本欽一
はぎもときんいち
1941年5月7日生まれ
お笑い第一世代
萩本欽一は、最初コント55号として人気者になります。
しかし徐々に個々での活動が増えていきました。
相方の坂上二郎がお笑いから距離を置いたのに対し、欽ちゃんはその後もお笑い界の第一線で活躍し続けます。
よってお笑い第一世代の代表格はコント55号ではなく、萩本欽一とするものも多いです。
『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(通称『欽ドン!』)、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』などで大人気になります。
各番組の視聴率を足して「視聴率100%男」と言われました。
土曜8時の『欽ドン!』はドリフターズの『8時だョ!全員集合』とともに、当時のお笑い界の2強時代を象徴する番組でした。
またフジテレビの土曜8時は『ひょうきん族』『ウンナンのやるやら』『めちゃ²イケ』と続き、その基盤をつくりました。
素人や芸人でない人をいじるお笑いや、「ウケる」「天然ボケ」などの言葉を世に広めました。
このとき活躍した小堺一機、関根勤などは「欽ちゃんファミリー」と言われました。
イモ欽トリオの『ハイスクールララバイ』、わらべの『めだかの兄妹』『もしも明日が…』をヒットさせています。
このように番組内で曲を作り、歌手ではない人に歌わせヒットさせたのも欽ちゃんが最初と言われています。
24時間テレビでは第1回~第3回まで総合司会を、2007年にはチャリティーランナーもつとめています。
1985年に当時のレギュラー番組をすべて降板し、半年間休養しました。
しかし、復帰後視聴率が上がらなくなります。
そして後にお笑いBIG3といわれるタモリ、ビートたけし、明石家さんまなどの登場により出番が減っていきます。
その後は、社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成し、人気が低下していた野球界を盛り上げました。
2015年には、駒澤大学仏教学部に入学したことで、話題になりました。
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枕草子(平安時代)ー歴史で中学生が知っておきたい作品
2017年12月18日
社会, 歴史で知っておきたい作品
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w.sanbongi
枕草子
まくらのそうし
平安時代
清少納言
清少納言の書いた『枕草子』は鴨長明の『方丈記』、兼好法師の『徒然草』とともに日本三大随筆のひとつとされています。
『源氏物語』を書いた紫式部は同年代の人物で、当時も今もよく比較されています。
『枕草子』には、約300の話が載っており、ひらがなを中心とした和文で書かれています。
ひとつの話が短めの文章が多く、読みやすいので国語でもよく出題される文章です。
編集は後に別の人物が行っており、それがいくつか存在するため、調べた冊子によってその順番は異なります。
つまり清少納言が書いた『枕草子』そのものがどんなものかは、わかっていません。
また「草子」とは冊子のことですが、「枕」についてはなぜ枕なのかはっきりしていません。
「枕詞」のまくら、まくらに例えたもの、本当のまくらを意味するなどさまざまな意見があります。
国語でも習いますが、知的な内容で、「をかし(趣がある)」を特徴にした作品です。
内容は大きく分けると3つに分類されますが、分類が難しい話もあり、学者によって意見が分かれます。
1つめは、類聚章段(るいじゅうしょうだん)で、いろいろな趣があるものを紹介していきます。
これに対し、清少納言が感想を述べるというのが主な内容です。
2つめは、回想章段(かいそうしょうだん)で、清少納言が宮廷で過ごしたことの内容が書かれています。
これによって平安時代の宮廷の暮らしを知ることができるので、大事な資料でもあります。
特に自分が仕えた中宮定子について、多く書いています。読みようによっては、清少納言の自慢話ともとれるようなところです。
3つめは、随想章段(ずいそうしょうだん)で、自然や日常生活について書かれています。
有名な「春はあけぼの・・・」のような内容がこれにあたります。
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