タモリとはーお笑いの歴史


タモリ

タモリ

 

1945年8月22日生まれ

お笑いBIG3

 

 

タモリの本名は森田一義(もりたかずよし)です。タモリの芸名はその名字の順番を入れ替えたものです。

お笑いBIG3の1人として、長くテレビで活躍しています。

テレビに出るときは常にサングラスをしています。他の芸能人からは「タモさん」とよく呼ばれています。

BIG3では一番年齢が上のため、よく一番最初に名前が挙げられますが、実際は芸能界デビューが30歳と遅めでした。

よって、実際はビートたけし明石家さんま笑福亭鶴瓶の方が芸能界では先輩にあたります。

音楽や料理、鉄道、地形など多彩な趣味を持ち、お笑いに固執していないところが、タレントとしての幅も広げています。

 

サラリーマンをしながら芸能活動をしていましたが、マンガ家の赤塚不二夫に気に入られ、居候するようになります。

後に赤塚が亡くなった際には「私もあなたの数多くの作品のひとつです。」と実際は白紙の弔辞を読んで、話題になりました。

そして、その赤塚不二夫の後押しもあり、芸能界入りします。

当初は、黒い眼帯をしたスタイルでした。

今でもたまにしますが、イグアナのものまねや、でたらめな言語など、本来マニアックな芸風でした。

その後、徐々に知的な番組の司会も増えていきます(最終学歴は早稲田大学中退です)。

ただこのときはまだ下ネタも多く、深夜番組のイメージの強いタレントでした。

 

しかし「笑っていいとも!」の司会に大抜擢されたことにより、その地位を確立、BIG3の1人と呼ばれるようになっていきます。

これによって、「NHK紅白歌合戦」で初の、NHKアナウンサー以外の総合司会にも起用されています。

その後、「タモリ倶楽部」や「ミュージックステーション」も始まり、これらの番組は現在も続いています。

代表番組「笑っていいとも!」は2014年に最終回を迎えますが、昼の通常回にはビートたけしがゲスト参加しました。

さらに夜の回には、さんま、笑福亭鶴瓶、とんねるずダウンタウンウンナンナイナイ爆笑問題が一堂に会しています。

このことはお笑い界の「奇跡の競演」とされ、タモリの偉大さを改めて知らしめる出来事になりました。

 

 

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プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

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