カテゴリー: いろいろな現代の歴史
ビートたけしとはーお笑いの歴史
ビートたけし
1947年1月18日生まれ
お笑いBIG3
ビートたけしは北野武として俳優、映画監督としても活動しています。
状況に応じて、本名と芸名を使い分けています。お笑いBIG3の一人に挙げられます。
代表ギャグは「コマネチ」。首をひねるクセがあり、よくものまねされています。自身を「おいら」と呼ぶことがあります。
萩本欽一が「大将」と呼ばれるのに対し、たけしは「殿」と呼ばれています。タモリは「たけちゃん」と呼びます。
多くの芸人に影響を与え、とんねるず、爆笑問題、さまぁ~ずなども影響を受けたと発言しています。
2つ年上のビートきよしとともに「ツービート」を結成し、新しいスタイルの漫才を行っていきます。
そして「漫才ブーム」が起き、B&Bや紳助・竜介らとともに、その名前は全国的に知られるようになります。
「漫才ブーム」終了後は、単独で活動するようになり、数多くの冠番組を持ちます。自身の企画によるものも多いです。
とくに『オレたちひょうきん族』は、当時のトップだった萩本欽一やドリフの番組に変わって、大人気番組になります。
後にたけし自身、萩本欽一といかりや長介(ドリフターズ)を引き下ろすことを目標にしていたと述べています。
1986年には、雑誌のフライデーを襲撃する事件を起こして、逮捕されています。約8か月間テレビも出られませんでした。
1994年には、酒気帯び運転によるバイク事故を起こし、長期に渡り入院、しばらく顔半分が顔面麻痺の状態でした。
日本を代表する映画監督でもあり、世界からも評価され、国内外問わず数多くの賞も受賞しています。
ファミコンのゲームも作成しており、とくに「たけしの挑戦状」は非常に斬新なゲーム設定でよく知られています。
弟子を多く抱えており、「たけし軍団」と呼ばれています。一番弟子は元県知事のそのまんま東(東国原英夫)です。
現在は、『TVタックル』や『ニュースキャスター』など、コメンテイターとしての仕事でも活躍しています。
番組の重要なところでゲスト出演することも多く、『笑っていいとも!』の通常回の最終回のゲストでもあります。
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明石家さんまとはーお笑いの歴史
2018年1月28日
お笑いの歴史, いろいろな現代の歴史
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w.sanbongi
明石家さんま
1955年7月1日生まれ。
お笑いBIG3。
明石家さんまの愛称は「さんちゃん」。同期の島田紳助は、テレビでさんまを本名の杉本高文で呼ぶこともありました。
お笑いBIG3の一人で、吉本興業の中心的人物です。「お笑い怪獣」とも言われ、BIG3の中でも最もお笑いに力を注いでいます。
ビートたけしもお笑い芸人として、さんまには勝てないと発言しています。出っ歯や引き笑いが特徴で、よくものまねされます。
元々は落語家でしたが、舞台で形態模写や漫談を行い、徐々にテレビタレントとして活躍するようになっていきます。
関西で桂三枝司会の「ヤングおー!おー!」でレギュラーになり、関西でアイドル的人気になります。
そして1980年代にはビートたけし、島田紳助らと出演した『オレたちひょうきん族』で国民的人気となります。
ブラックデビルやアミダババア、パーデンネンなどのキャラクターを演じて、人気を得ました。
『笑っていいとも!』では、金曜レギュラーとしてタモリと雑談するコーナーが長きに渡り、人気を博しました。
27時間テレビではタモリと総合司会を務めるなどし、このころからお笑いBIG3と呼ばれるようになりました。
好きなタレントや好きな芸能人の調査では、昔から現在まで常に上位に名前が上がり、1位だったことも数知れません。
スポーツが趣味で、特にヨーロッパのサッカーにはとても詳しく、特別番組の司会もしています。
テレビドラマにも多数出演しており、主役を演じた『男女7人夏物語』はトレンディードラマの元祖と言われています。
そこで共演した大竹しのぶと結婚、後に離婚していますが、今でもその生活をたびたびネタにしており、最近は共演も多いです。
交友関係も広く、同世代のタレントはもちろん、歌手やアイドル、アナウンサー、スポーツ選手などと交流があります。
現在でも『踊る!さんま御殿!!』や『ホンマでっか!?TV』『さんまのお笑い向上委員会』などで司会を行い、活躍中です。
不定期の特別番組も数多く持っており、他の人の番組でもスペシャル回にはゲストとしてよく出演しています。
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