カテゴリー: いろいろな現代の歴史
お笑いBIG3とはーお笑いの歴史
お笑いBIG3
お笑いBIG3の3人は、1980年代から現在まで、お笑い界の頂点に君臨する存在です。
もともとはフジテレビで年始に放送されていた『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ』が由来です。
よってフジテレビで高視聴率を取っていた3人に使われた言葉でしたが、現在では他局や他の媒体でも使用されています。
タモリはたけしやさんまと違い、日本テレビの出演があまり多くありませんでした。
よって、さんまは日本テレビのBIG3はたけし・さんま・所ジョージと発言していました。
しかし、日本テレビ開局記念番組では、日替わりでBIG3の3人がそれぞれ冠番組を担当しています。
一時期とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンに人気を取られますが、それ以降も現在まで安定して活躍しています。
BIG3が3人そろっての競演は少なく、第1回ゴルフマッチも3人が多忙を極める中、開催されました。
本人たちもこの3人がそろったことを、奇跡の組み合わせやあり得ない番組と言っていました。
ゴルフマッチは計10回行われ、27時間テレビ内でもかつてはスペシャル企画で定期的に共演していました。
2000年代は共演はありませんでしたが、2012年タモリ司会の27時間テレビの深夜企画で、3人がそろって話題になりました。
さんまはタモリ、たけし以外にも笑福亭鶴瓶、所ジョージ、島田紳助などともたびたび共演しています。
タモリとたけしの共演は少ないです。ただし、お互いそれぞれの番組などで名前はよく出しています。
BIG3と言われる前は交流もあり、ときどき共演もしています。
最近では『笑っていいとも!』の最終回での競演が、話題になりました。
タモリとさんまは『笑っていいとも!』で共演していましたが、さんまが降板して以降は共演はあまり多くありません。
たけしとさんまは『オレたちひょうきん族』で共演し、この番組をきっかけにともに全国的に人気を得ています。
番組終了後も共演は多かったですが、2000年代はあまり共演していません。
ただ最近は、特別番組(『世界まる見え!テレビ特捜部』など)で何度か共演している場面も見られるようになりました。
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笑福亭鶴瓶とはーお笑いの歴史
2018年2月11日
お笑いの歴史, いろいろな現代の歴史
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w.sanbongi
笑福亭鶴瓶
1951年12月23日生まれ
お笑い第二世代
笑福亭鶴瓶はつるべえではなく、つるべと読みます。吉本興業と並ぶお笑い二大事務所の1つ、松竹芸能の代表的人物です。
当初はアフロヘアでしたが、今はM字の額で細いタレ目、マルメガネを特徴として、描かれます。
「鶴瓶師匠」「べーさん」と呼ばれ、BIG3に次ぐ大御所です。
大御所でありながら、いじられキャラで、そこが親しまれているところでもあります。
とんねるずの木梨憲武、ダウンタウンの松本人志、ナイナイの岡村隆史はなりたい人物として、笑福亭鶴瓶を挙げています。
京都産業大学の学生時代に、清水国明、原田伸郎らとフォークソンググループ「あのねのね」でデビューしています。
その後、大学は中退、6代目笑福亭松鶴に弟子入りし、鶴瓶の名で落語家になります。
テレビタレントとして、一度東京に進出しますが、失敗、大阪に戻り、再び人気を得たことから再度東京に進出します。
しかしビートたけしの番組に完敗し再び失敗かと思われましたが、「笑っていいとも!」のレギュラーになり、人気を得ます。
交友関係が広く、志村けん、タモリ、ビートたけし、明石家さんま、ウッチャンナンチャンとは共演も多いです。
タモリと共に「笑っていいとも!」を支えた功労者で、所ジョージや明石家さんまが降板しても鶴瓶は最後まで続けています。
「笑っていいとも!」が終わることを全国に伝えたのも、笑福亭鶴瓶でした。
第3世代では、ウンナンとの共演が特に多く、「いろもん」「投稿!特ホウ王国」「新春 鶴瓶大新年会」などあります。
笑福亭鶴瓶はウンナンのことを、身内のようなものと語っていました。
内村光良は、よくあこがれない人物と冗談で発言しています。
現在も「鶴瓶の家族に乾杯」「ザ!世界仰天ニュース」「A-studio」など多くのレギュラー番組を抱えています。
俳優としてもブルーリボン主演男優賞や、キネマ旬報賞主演男優賞などを受賞しています。
2000年代からは落語家としての活動にも力を入れており、その落語スタイルは「鶴瓶噺(つるべばなし)」と呼ばれます。
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