カテゴリー: ビジュアル系の歴史
黒夢をわかりやすくービジュアル系の歴史
黒夢(kuroyume)
清春(ボーカル)
人時(ベース)
黒夢は、ビジュアル系で第5位の売り上げ記録を持つバンドです。
代表曲には、「BEAMS」「Like @ Angel」「Spray」「少年」「MARIA」などがあります。
当初は3人でしたが、全盛期は2人で、見た目や曲調も異なったことから、ビジュアル系バンドに含まれないこともあります。
他のバンドとは違い、時代の流れに逆行するスタンスをとり、黒夢の影響を受けてミュージシャンになった人も多いです。
メンバーの出身地である岐阜県で結成、名古屋を中心に活躍しました。
当初は派手な衣装で、過激なパフォーマンスでしたが、その傾向は徐々に薄まっていきます。
よって、初期のみビジュアル系とするものもあります。ただこの傾向はどのバンドにも言えることではありますが。
アルバム『feminism』でオリコン1位となりますが、このアルバムのレコーディング中に、ギターが失踪しています。
その後もメンバーを増やさないで2人で活動を続けます。『BEAMS』がCMで使われ、その知名度を上げました。
当初はテレビにも出演していましたが、途中からほとんどテレビには出なくなり、ライブ活動が中心となりました。
また見た目や曲調も、そのときによって異なり、特にパンク調の曲で、男性ファンが急激に増えました。
しかし、清春と人時の関係が悪化、そして全盛期に人時が脱退を申し出、無期限活動停止となりました。
実質解散状態でしたが、2009年1月29日に一夜限りの復活・解散ライブを行い、正式に解散しています。
しかし2010年1月29日に清春のもう一つのバンドsadsとともに、活動再開が発表されました。
2011年1月29日、新宿ステーションスクエアで行われたシークレットライブは、1分で中止となり、ニュースになりました。
活動再開後は、シングル、アルバムも作成され、「イナズマロックフェス」や「氣志團万博」にも参加しています。
そして、2014年に行われたデビュー20周年ツアー後、再び活動を休止しています。
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ビジュアル系の歴史
2018年10月7日
ビジュアル系の歴史
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w.sanbongi
ビジュアル系の歴史
X JAPAN
LUNA SEA GLAY
L’Arc~en~Ciel 黒夢
ビジュアル系とは、具体的な定義はなく、とらえ方も人それぞれですが、ざっくりいうと化粧をしているロックバンドです。
現在はしていなくても、過去にしていた場合もこのジャンルとしてとらえられることがあります。
ここでは、ビジュアル系黄金期といわれたころに活躍し、売り上げもベスト5に入る上記の5組を取り上げています。
当初はビジュアル系をあまりいい意味でとらえないことも多く、ビジュアル系と呼ばれることを否定することもありました。
とくにラルク(中でもリーダーのtetsuya)は強く否定したため、このジャンルには含まれないことも多いです。
ビジュアル系を特集して話題になった『関ジャム』でも、ラルクは紹介されませんでした。
また黒夢も当初はビジュアル系でしたが、脱ビジュアル系をしていき、全盛期の見た目や歌はそのイメージが少ないです。
よってこのジャンルに含まれなかったり、このジャンルに含まれるとなぜ?と思われる人もいます。
もともとあいまいなジャンルでしたが、2016年に行われた「VISUAL JAPAN SUMMIT」がこのジャンルを改めて形作りました。
このイベントはX JAPANのYOSHIKIのもと、X JAPAN、 LUNA SEA、 GLAYが中心となって開催されました。
これにより改めてこの3組がビジュアル系の王道であり、黄金期を作ったバンドと認識させられました。
そして同時期に活躍したL’Arc~en~Cielのhydeと黒夢の清春の出演も発表されました。
LUNA SEA、GLAYはもともとYOSHIKIとつながりがありますが、ラルクと黒夢はYOSHIKIと関係性はありません。
YOSHIKIもhydeや清春といっしょになることがあるとは、黄金期と呼ばれた当時は思いもしなかったと発言しています。
このイベントにより、ビジュアル系はYOSHIKIを中心に、この5組がレジェンド的存在であることを改めて位置付けました。
YOSHIKIと清春の対談でも、この5組(正確にはラルクはhyde、黒夢は清春)をそう認識している発言が多く見られます。
もともとXとLUNA SEA、GLAY、インディーズから関係のあったhydeと清春の共演はいくつかの場面で見られています。
しかしこのころから、YOSHIKIとhyde、YOSHIKIと清春などの共演も多く見られるようになりました。
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