カテゴリー: ビジュアル系の歴史
GLAYをわかりやすくービジュアル系の歴史
GLAY
TAKURO(ギター・リーダー)
TERU(ボーカル)
HISASHI(ギター)
JIRO(ベース)
GLAYは、日本で最も売れたビジュアル系バンドで、CDの売り上げは第1位、ライブ動員数も1位となっています。
ビジュアル系という枠組みだけではなく、日本のバンドの中でも、第一線で活躍するモンスターバンドです。
作詞・作曲の多くは、リーダーであるTAKUROが手掛けています。
代表曲には、「グロリアス」「唇」「HOWEVER」「誘惑」「Winter,again」などがあります。
小学校の同級生だったTAKUROとTERUを中心に結成、その後高校の同級生のHISASHI、後輩のJIROが加入しました。
最初のインディーズアルバムはYOSHIKI主宰のエクスタシーレコードから、発売されました。
デビューシングル「RAIN」もYOSHIKIがプロデュースしており、YOSHIKIと関係の深いグループでもあります。
デビュー当初から人気を得ていましたが、CMソングで使われた「グロリアス」で大きく知名度を上げました。
そして「HOWEVER」は、オリコン5回連続1位を獲得し、ベストアルバム「REVIEW」は、480万枚以上売り上げました。
この年には、『NHK紅白歌合戦』にも出場し、ビジュアル系のバンドが、まさに国民的人気を得ることとなります。
1999年には、一つの公演で20万人を動員するライブを行い、話題となりました。これは、ギネス世界記録にもなりました。
2000年代に入っても、メンバーチェンジもなく、常に活動を続け、毎年シングルを発売、多くがタイアップ付きとなっています。
メジャー級のバンドで、解散や活動休止等なく、これだけ活動が続いているバンドも少ないです。
多くのイベントを主催、また他のイベントにも参加しています。
2015年には、YOSHIKIとの共演、また、LUNA SEA主宰のフェス「LUNATIC FEST.」にも参加しています。
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ラルク アン シエルをわかりやすくービジュアル系の歴史
2018年9月23日
ビジュアル系の歴史
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w.sanbongi
L’Arc~en~Ciel
hyde(ボーカル) ken(ギター)
tetsuya(ベース・リーダー) yukihiro(ドラムス)
ラルク アン シエルは、ビジュアル系で第2位の売り上げを誇るバンドで、日本を代表するロックバンドでもあります。
正式には、ローマ字表記ですが、カタカナによる表記も多く、ラルクと省略されて呼ばれる場合も多いです。
作詞は主にhydeが担当、作曲は全員行いますが、kenとtetyuyaの作品が多いです。作曲者により、曲の雰囲気も異なります。
代表曲には、「虹」「Winter fall」「HONEY」「snow drop」「Driver’s high」などがあります。
ただしリーダーのtetsuyaがビジュアル系と呼ばれることを否定しているため、この枠組みには入れないことも多いです。
YOSHIKI主宰のビジュアル系のフェス「VISUAL JAPAN SUMMIT」に、hydeの参加が決定した際、大きな話題となりました。
しかしラルクとしては、参加しておらず、もともとYOSHIKIと繋がりもないので、LUNA SEAやGLAYとは立場が異なります。
大阪のバンドで、tetsuyaが中心となり結成、別バンドのボーカルだったhyde(ハイド)を誘い、大阪で活動します。
その後東京に活動を広げたころ、ギターのkenが加入し、1994年、メジャーデビューしています。
1995年には、日本武道館でコンサート、1996年『True』でオリコン1位を獲得するなど、順調に活動を続けていきます。
しかし、このころ、当時のドラマーが逮捕される事件がおき、一時活動休止を余儀なくされています。
そして、ドラマーにyukuhiroを加え、活動を再開、その後出したシングルはすべて大ヒットし、大メジャーバンドとなります。
アルバム『ray』『ark』はオリコン1位2位を独占し、2日で25万人を動員するライブも成功させています。
2001年に入ると、メンバーそれぞれが個人活動をするようになり、ラルクとしての活動は行われなくなりました。
解散説も流れましたが、2003年活動を再開、その後はソロ活動と並行して、ラルクとしての活動が行われています。
2008年には、東京、大阪を含む世界7都市でツアーを行い、2012年にも。世界の14都市を廻るツアーを行っています。
『NHK紅白歌合戦』には、計5回出演、CMソングなど数多くのタイアップ曲があります。
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