カテゴリー: 社会
春秋・戦国時代、秦とはー歴史で中学生が知っておきたい中国史
春秋・戦国時代、秦
しゅんじゅう・せんごくじだい、しん
始皇帝
日本:縄文~弥生
春秋・戦国時代は名前が出てくるぐらいで、中学の教科書では、ほとんど触れられていません。
春秋の五覇や戦国の七雄などが出てくるため、歴史好きにはおもしろいところで、この時代はいくつか作品化されています。
特に戦国の七雄の斉(せい)・楚(そ)・燕(えん)・韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)・秦は知っておきたいです。
今では漫画「キングダム」が有名かと思います。主要登場人物の1人、政(せい)が後の始皇帝です。
このころ鉄製農具が使用されるようになり、刀銭や布銭などの青銅貨幣が出現しました。
諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれる人たちが登場するのも、この時代です。
教科書では、儒学の孔子のみ登場しますが、他にも墨子、老子、孟子、荀子、荘子などいます。これを諸子と言います。
儒家、道家、墨家(ぼっか)、名家、法家、陰陽家(いんようか)、兵家、縦横家(じゅうおうか)などを百家といいます。
秦は、戦国の七雄の一つで、始皇帝が初めて中国全土を統一、教科書でも7行に渡って、記述があります。
わずか15年で滅びたことを考えると、なかなかの記述量です。
秦の初代皇帝は政(せい)で13歳で王に即位、そのころは呂不韋(りょふい)が実権を握っていました。
呂不韋失脚後、政が自ら政治を行うようになり、中国を統一、初めて皇帝(始皇帝)を名乗りました。
首都は咸陽(かんよう)で、現在の西安付近になります。
教科書に載っているように文字や長さ、重さ、容積の基準、および貨幣の統一を行っています。
郡県制を施行し、儒家を弾圧しました(焚書坑儒・ふんじょこうじゅ)。
北方の遊牧民侵入のための万里の長城を修築し、つなげました。
二代目皇帝のとき、陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)や劉邦、項羽の登場により滅亡します。
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徳川綱吉がしたことー歴史で中学生が覚えておきたい徳川将軍3
2017年9月18日
社会, 覚えておきたい徳川将軍
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w.sanbongi
徳川綱吉
とくがわつなよし
第5代将軍
1646年~1709年
教科書では、朱子学をすすめたこと、生類憐みの令を出したことが記述されています。
徳川綱吉は第3代将軍徳川家光の四男で、第4代将軍徳川家綱の弟になります。
ちなみに身長は124㎝だったと言われています(当時の平均身長は155㎝)。
家綱に子供がおらず、他の兄たちも亡くなっていたため、綱吉が将軍となりました。
第3代将軍家光までは、武力でおさえる武断政治でしたが、第4代から第7代までは朱子学に基づいた文治政治が行われました。
特に綱吉は文治政治を推進し、忠孝・礼儀を重視した天和の武家諸法度を発布しています。
のちに幕府直轄の学問所となる孔子廟ー湯島聖堂を立て、新井白石、室鳩巣(むろきゅうそう)らの学者を輩出しています。
大老堀田正俊や柳沢吉保の補佐で行われたこれら綱吉の政治は、天和の治と呼ばれ、善政と評価されています。
また、天和の治を受けて経済が発展、綱吉のころの上方の町人を担い手とする文化を、元禄文化といいます。
しかし大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に殺され、そのため老中などを遠ざけるようになり、その後生類憐みの令を出します。
その動物愛護は、犬、猫、鳥だけでなく、魚、貝、虫にまで及びました。
自ら犬小屋に野犬を飼い、住民は追い出されました。
犬好きなのは、自身が戌(いぬ)年だったためと言われています。
ちなみにこの生類憐みの令は、徳川光圀も反対していました。
一般的には前半は善政の人、後半は暗愚という評価される場合が多いかと思います。
64歳で亡くなります。第6代将軍徳川家宣の代になると、生類憐みの令はすぐに廃止されました。
また、討ち入りで有名な赤穂浪士のお話し(赤穂事件)も綱吉の時代のお話しです。富士山の大噴火も起きています。
綱吉の評価が低いのは、「忠臣蔵」や「水戸黄門」の影響があると言われており、最近は再評価もされています。
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