カテゴリー: 社会
歴史で中学生が覚えておきたい天皇・上皇一覧
教科書本文のみに登場の天皇・上皇になります。
教科書が太字の天皇・上皇は太字にしてあります。
※教科書は東京書籍の「新しい社会 歴史」になります。
天皇の名前は歴史の教科書前半で多く登場するので、中1生にとっては覚えづらいところかもしれません。
人物名と違い、最初の二文字か三文字で覚えなければいけないうえ、同じ漢字を使う場合も多いのが覚えづらいところです。
以下に教科書に出てくるすべての天皇・上皇を整理したので、参考にしてください。
歴史で中学生が覚えておきたい天皇・上皇一覧
推古天皇 554~628 女性天皇。聖徳太子が摂政となる。その治世を推古朝、そのころの文化を飛鳥文化という。
天智天皇 626~671 中大兄皇子。中臣鎌足と大化の改新を行う。近江大津宮へ遷都。戸籍(庚午年籍)を作成。
天武天皇 ? ~686 大海人皇子。天智天皇の弟。壬申の乱に勝利。天皇政治を強化。飛鳥浄御原宮へ遷都。
持統天皇 645~702 天武天皇の皇后。藤原京を造る。このころ「日本」の国号が使われるようになった。
聖武天皇 701~756 仏教を信じ、国分寺・国分尼寺、東大寺を建てる。聖武朝のころの文化を天平文化という。
桓武天皇 737~806 平安京に都をうつす。坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命。最澄・空海に新仏教を布教させる。
後三条天皇 1034~1073 当時の実力者である藤原氏と関係が薄かった天皇。荘園の管理強化し、藤原氏を抑制する。
白河天皇〔上皇〕 1053~1129 摂政や関白の力を抑えて、堀河天皇・鳥羽天皇・崇徳天皇のとき上皇として、院政を行う。
鳥羽上皇 1103~1156 白河上皇の院政を引き継ぐ。崇徳天皇との不仲から、保元の乱の原因をつくる。
後白河天皇〔上皇〕1127~1192 保元の乱に勝利し院政を行うが、その後平清盛に一時的に院政を停止される。
後鳥羽上皇 1180~1239 鎌倉幕府に対抗して承久の乱をおこすが、敗れて隠岐に流される。歌人としても名を残す。
後醍醐天皇 1288~1339 足利尊氏らと鎌倉幕府を滅ぼし、建武の新政を行う。後に尊氏と対立し南北朝時代になる。
スポンサーリンク
漢とはー歴史で中学生が知っておきたい中国史
2017年9月23日
社会, 知っておきたい中国史
No Comments
w.sanbongi
漢
かん
劉邦
日本:縄文~弥生
朝鮮半島から中央アジアまで支配した大帝国で、教科書では太字です。シルクロード(絹の道)、紙の発明はこの時代です。
漢は中学の教科書には出てきませんが、中国史上では有名な農民出身の劉邦が項羽との争いに勝って、開かれた王朝です。
劉邦(りゅうほう)と項羽(こうう)については、たくさん作品化されています。
項羽は「四面楚歌(しめんそか)」の4字熟語でも有名です。
劉邦(高祖・こうそ)は長安に都を作り、それぞれの地域の支配権を認める郡国制を行い、国を安定させます。
漢によって中国の仕組みの原型が作られたため、漢字、漢文など漢=中国を表すことがあります。
一番栄えたのは第7代皇帝・武帝(ぶてい)のときで、大帝国になったのもこのときです。
張騫(ちょうけん)を大月氏とよばれる民族の国に派遣したり、西域(さいいき・せいいき)や朝鮮の経営を勧めました。
有名な政策もほとんどは、武帝によって実施されています。儒学を国教と定めました。
しかし、武帝の死後、急速に衰え、一度王莽(おうもう)という人物が新(しん)という国をつくり、漢は滅びます。
新については教科書本文にはでてきませんが、巻末の年表で確認できます。
その後、一族の劉秀(りゅうしゅう)らが昆陽の戦いで王莽を破り、漢を復活させます。
そのため新の前の漢を前漢、後の漢を後漢といいます。
劉秀(光武帝・こうぶてい)は、中国史上でも優れた名君の一人と言われています。
劉秀は、周りの国々を服従させ、有力豪族の連合政権のような形を造ります。後漢で最も栄えたのもこの時代です。
また、「後漢書」東夷伝によると、倭の奴国に金印を送ったのは、この劉秀です。
後漢は約200年続きます。最後は政治腐敗や、黄巾の乱などの農民反乱などにより衰退していきます。
そして魏・呉・蜀の三国が力をつけていき、その中の魏の曹丕(そうひ)に帝位を譲り、漢は滅亡します。
スポンサーリンク