カテゴリー: 知っておきたい中国史
明とは―歴史で中学生が知っておきたい中国史
明
みん
朱元璋
日本:室町~江戸
日明貿易など日本との関係もあることから、教科書では太字ですが、明自体の記述はあまりありません。
明は漢民族の国で、紅巾の乱(こうきんのらん)の指導者のひとり、朱元璋(しゅげんしょう)が建国します。
建国後は洪武帝(こうぶてい)と言われました。
朱元璋はもともと農民で、農民から皇帝になったのは、漢の建国者劉邦(りゅうほう)とこの朱元璋です。
ただ朱元璋は農民出身であることにコンプレックスを持っており、残酷(ざんこく)なことをたくさん行っています。
農民時代の朱元璋を知っている人は、みんな殺されたと言われています。
よって、劉邦は中国で(日本でも)とても人気がありますが、朱元璋は今でも全く人気がありません。
そしてこのような性格から、朱元璋は独裁政治(どくさいせいじ)を行います。
有名な政策では、今の日本と同じように、皇帝1人に対し、1つの元号を用いた一世一元の制(いっせいいちげん)があります。
その後、朱元璋の長男は早くして亡くなったため、孫が第2代建文帝(けんぶんてい)になります。
これに対し、軍で力を持っていた朱元璋の4男燕王(えんおう)が反乱、燕王が勝ち、第3代永楽帝になります。
この永楽帝(えいらくてい)の時代に、明は安定期を迎えます。
永楽帝は国の力を外部に示すためにモンゴル遠征や、鄭和(ていわ)の大艦隊を南シナ海、インド洋に派遣しています。
永楽帝の死後、有能な皇帝が現れず、倭寇(わこう)や豊臣秀吉の朝鮮出兵など外からの攻撃にさらされます。
モンゴルの侵入を防ぐために、万里の長城も再建しています。今見られる万里の長城はこのときのものです。
これを明は何とか乗り切りますが、それに対する軍事費がとても多くかかりました。
その後も政治の乱れや増税などが続き、そして李自成(りじせい)を中心とする農民反乱がおこり、滅亡します。
スポンサーリンク
清とはー歴史で中学生が知っておきたい中国史
2017年11月18日
社会, 知っておきたい中国史
No Comments
w.sanbongi
清
しん
ヌルハチ
日本:江戸~明治
清は日清修好条規や日清戦争と日本との関係も深いことから、教科書では5回に渡り登場します。
清はもとは後金という国で、女真族のヌルハチがかつてあった金という女真族の国を後継するという形で建国されました。
しかしヌルハチは明との戦争中に亡くなり、その息子のホンタイジが皇帝を名乗り、国名を清と改めました。
そのホンタイジも中国を統一する前に亡くなり、翌年農民反乱のリーダー李自成(りじせい)が明を滅ぼします。
この李自成を清と明の将軍だった呉三桂(ごさんけい)が破り、6歳の皇子が皇帝(順治帝・じゅんちてい)になりました。
全盛期は康熙帝(こうきてい)、雍正帝(ようせいてい)、乾隆帝(けんりゅうてい)の時代です。
このとき、その領土は中国史上最大となりました。
女真族は辮髪(べんぱつ)という独特の髪型をしています。
女真族は少数民族ですが、女真族と漢民族を同じ数だけ採用する方式で、うまく統治していきました。
清は大帝国へと成長していきますが、ヨーロッパとの貿易は広州1港に制限していました。
これによって、イギリスとの関係が悪くなります。
そして、林則徐(りんそくじょ)のアヘン取り締まりをきっかけに、清対イギリスのアヘン戦争がおこります。
その後、清仏戦争、日清戦争と敗れたため、清を倒そうという漢民族の独立運動がおこります。
このころの清は、中国三大悪女で有名な西太后(せいたいごう)が権力を握っていました。
そして革命運動は民衆の支持を受け、その中心人物孫文(そんぶん)を臨時大総統とする中華民国が成立します。
清の軍の実力者・袁世凱(えんせいがい)が、最後の皇帝、宣統帝溥儀(せんとうていふぎ)を退位させ、清は滅びます。
溥儀の人生を描いた映画「ラストエンペラー」(1987年)は、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞を受賞しています。
スポンサーリンク