カテゴリー: 知っておきたい歴史事件
激化事件をわかりやすくー歴史で中学生が知っておきたい事件
激化事件
1880年代。
教科書では、10個の激化事件が地図で紹介されています。
激化事件(げきかじけん)とは、不況に対する農民たちの不満から、日本各地で起こった暴動事件の総称です。
ここでは、中でもとくに有名な4つの事件、福島事件、加波山事件(かばさん)、秩父事件(ちちぶ)、大阪事件を紹介します。
福島事件は、1882年に福島県令の三島通庸(みしまみちつね)の土木工事に対し、福島自由党員が反対運動をした事件です。
反対運動の中心は、福島自由党幹部の河野広中(こうのひろなか)でした。
これに対し通庸は農民の反対運動を鎮圧、多くの自由党員を逮捕しました。広中も獄に入れられています。
三島通庸は栃木県令も務めており、このときは暗殺されそうになりました。
その暗殺は失敗に終わり、茨木県の加波山で政府を倒すために反乱を起こしますが、通庸はこれを鎮圧しています。
この激化事件が、加波山事件です。三島通庸は2つの激化事件に関係した人物になります。
秩父事件は、教科書にも唯一説明がついており、激化事件の中でも最も有名な事件です。
1884年、借金を抱えた農民たちが、借金の据え置き、減税を訴え、高利貸しや役所を襲撃しました。
これは当時の大蔵卿・松方正義が行った政策が原因で、この松方財政は日本の資本主義経済の基盤を作ったとされています。
しかし急な厳しい政策によりデフレを招き(松方デフレ)、小企業や農民は苦しめられました。
これに対し、埼玉県秩父の農民は困民党(こんみんとう)を組織し、反乱を起こします。
しかしこの反乱は、10日ほどで鎮圧されました。
大阪事件は、1885年、大井憲太郎らが朝鮮に政権を作って、もう一度民権運動を起こそうとした事件です。
しかし朝鮮に渡ろうとした直前に大阪で逮捕され、失敗に終わりました(よって大阪事件といいます)。
大阪事件には、のちに「東洋のジャンヌダルク」と言われた婦人運動家・景山(福田)英子も18歳で参加し、捕まっています。
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ノルマントン号事件をわかりやすくー歴史で中学生が知っておきたい事件
2018年4月23日
社会, 知っておきたい歴史事件
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w.sanbongi
ノルマントン号事件
1886年
教科書では、欄外に絵(風刺画)付きで解説、
これにより、不平等条約の改正を求める世論が高まったとあります。
ノルマントン号事件のノルマントン号とは、ドレーク船長率いるイギリスの貨物船です。
この船が、暴風雨により紀伊半島沖で難破しましたが、乗っていたイギリス人、ドイツ人は全員救命ボートで脱出しました。
これに対し、乗っていた日本人は全員おぼれて死亡しました(他にアジア人もいたという意見もあります)。
この出来事に対し、日本国民は人種差別により起きた事件だと激しく非難します。
当時の外務卿(がいむきょう・外務大臣)・井上馨(いのうえかおる)も、このことを不審に思い、調査を命令しています。
この事件の裁判は、当時、領事裁判権(治外法権)が認められていたため、神戸領事館でイギリス人によって行われました。
ドレークは日本人に英語が伝わらなかったと主張、結果全員無罪となり、この結果に日本国民はさらなる怒りを持ちました。
この状況を井上馨も無視できず、兵庫県知事に命じて告訴、再度裁判が行われることになりました。
この裁判によって、ドレーク船長は、禁固3か月となりましたが、遺族に対する賠償金はありませんでした。
なお賠償金がなかったのは、日本とイギリスの関係が悪くなるのを、政府が望まなかったからだと言われています。
義援活動をしていた福沢諭吉もこの状況を不安に思い、起訴停止を遺族に求めたと言われています。
日本国民は、この事件により、不平等条約の改正、領事裁判権の撤廃の必要性を感じるようになりました。
井上馨による極端な欧化政策と、外国人判事を任用する井上改正案は、非難を浴び、井上馨は辞職しています。
その後井上改正案を若干改正させた、大隈重信(おおくましげのぶ)による改正案も失敗します。
大隈重信は暗殺未遂で負傷し、内閣は総辞職しました。
そして、こののち、陸奥宗光(むつむねみつ)が日英通商航海条約を結び、領事裁判権は撤廃されました。
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