首里とはー琉球王国の都・『琉球の風』の舞台


首里

首里

 

しゅり

室町時代

 

 

教科書では、琉球王国の都として登場し、その王城である首里城の正殿は写真も載っています。

 

首里は、現在の沖縄県那覇市にあります。中山王尚巴志琉球王国建国のさい、首里を首都とし、首里城を王城としました。

琉球王国時代はずっと中心であり続けましたが、琉球処分による沖縄県設置のさい、那覇に中心が移っています。

 

王城である首里城は、もともと沖縄島にあった3つの王国・北山・中山・南山のうち、中山の城であったと考えられています。

この中山を尚巴志が滅ぼし、その後統一したため、琉球王国の王家である尚氏の住む城となりました。

その後もずっと王城であり続けましたが、数度にわたり焼失にあったと記録されています。

琉球処分後は、軍の施設や、学校として使用されました。

その後改修工事が行われましたが、太平洋戦争沖縄戦のおいて、アメリカ軍との戦闘により破壊されています。

そして1950年代から再建が始まり、現在まで続いています。

琉球王国はもともと中国との関係が強かったので、首里城は城の作りや見た目も日本の城より、中国の城の影響を受けています。

また日本の城のように軍事目的ではなく、政治目的で作られている面が強いです。

鎌倉の円覚寺をまねた那覇の円覚寺も建てられ、第二尚氏の菩提寺(ぼだいじ)となりました。

中国からの使いを招いて、宴(うたげ)を行うなど、琉球王国にとっても重要な場所であったとされています。

また第二尚氏の第4代・尚清王(しょうせいおう)のとき、首里城の正門として守礼門(しゅれいもん)が建てられました。

これも太平洋戦争の沖縄戦で焼失していますが、のちに再建されています。

 

1993年には、首里城を舞台にしたNHK大河ドラマ『琉球の風』が放送されました。

1600年代、薩摩藩・島津氏に侵攻されたころの琉球王国が描かれています。

架空の登場人物が多い作品ですが、尚氏の尚寧王(しょうねいおう)は登場します。

 

室町時代ー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語

 

スポンサーリンク

 

 

 

スポンサーリンク








プロフィール

管理者:DN

愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

東三河の方で、教室に興味のある方はこちらのお問い合わせフォームより、お問い合わせください。塾ではない形で指導を希望される方も、一度ご相談ください。あなたから新しい指導の形が見つかるかもしれません。

 

友だち追加