倭の五王とはー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語


倭の五王

倭の五王

 

わのごおう

古墳時代

 

 

教科書には、宋の歴史書「宋書」に、中国にたびたび使いを送ったことが記されていると記載されています。

 

倭の五王とは、讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)を指します。

教科書には「宋書」のみ書いてありますが、他にも「梁書」「晋書」「南斉書」にもその名前は確認されています。

ちなみに宋とは、南北朝時代の宋になり、日宋貿易などで知られる宋とは違う国なので、注意したいです。

ただこの倭の五王が実際にだれなのか、さまざまな意見があり、今現在もはっきりしていません。

ちなみに倭の五王について調べるとよく「‥と比定されている。」と書いてあります。

「比定されている」とは裏付ける決定的証拠はないが、客観的事実からおそらくそうだろうという意味です。

 

讃は仁徳(にんとく)天皇、応神(おうじん)天皇、履中(りちゅう)天皇などの説があります。

珍は反正(はんぜい)天皇か仁徳天皇という説が有力です。

仁徳天皇は世界最大級のお墓、大仙古墳(仁徳陵古墳)でも知られています。

応神天皇は、多数の渡来人が大陸文化を伝えてきたときの天皇と言われています。

ユーラシア大陸から来た騎馬民族が日本を征服したという「騎馬民族説」では、応神天皇がそのときの王とされています。

 

済は允恭(いんぎょう)天皇、興は安康天皇、武は雄略天皇と言われ、この3人は歴史学者の意見もおおよそ一致しています。

雄略(ゆうりゃく)天皇は「ワカタケル大王」とも言われ、教科書にも鉄刀、鉄剣とともに記載されています。

鉄刀は江田船山古墳(熊本県)から、鉄剣は稲荷山古墳(埼玉県)から出土しています。

倭王武の上奏文もあり、高句麗との戦いにおいて、宋の支援を要求しています。こちらも教科書に載っています。

「万葉集」の一番最初に歌が載っている人物で、奈良時代の人にとって雄略天皇が特別な人物だったことがわかります。

 

 

※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。

 

古墳時代・飛鳥時代ー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい語句

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

愛知県田原市生まれ、豊橋市育ち。

文学部史学科卒のため、歴史ネタが多くなります。

主に小中学生に指導もしています。

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