安土城とはー織田信長の居城・日本初の近世的城郭


安土城

安土城

 

あづちじょう

安土桃山時代

 

 

教科書では、織田信長が築いた5層の天守を持つ城とあります。復元された模型が写真で掲載せれています。

 

安土城は、織田信長が近江に築いた総石垣の城郭で、最初の近世的城郭とされます。

城郭とは、天守を持つ本丸を中心に、二の丸、三の丸や、やぐらのある建物で、現存するものに姫路城などがあります。

こののち、築かれる城のつくりは、この安土城のつくりがモデルとなったといわれています。

大型の天守閣が特徴で、当初は城郭が琵琶湖に接していたと考えられています。建築には、羽柴秀吉も関わっています。

現在は残っていませんが、城の様子は当時信長に謁見したイエズス会の宣教師ルイス・フロイスの記録で知ることができます。

しかし実際どのような天守閣だったのかを知る図面は存在しないため、現在まで復元はされていません。

 

その見た目は、信長の掲げた「天下布武」を象徴するものであったとされています。

信長はこの天守に実際に住んでいたと考えられています。通常、お城は住む場所としては使われません。

よって信長は初めて高層建築物に住んだ日本人、とも言えます。

内部には、狩野永徳が描いた障壁画(しょうへきが)がありました。

信長は安土城を築く際に、摠見寺(そうけんじ)という臨済宗のお寺をお城の中に建てています。

小堂などをもつ城はありますが、このようにお城の中にお寺そのものが建てられたのは、安土城だけです。

お城としては、直線が多く、石落としなどもないことから、軍事目的ではなく、政治の拠点としての要素が強かったようです。

 

明智光秀が徳川家康を接待し、信長に叱責された有名なシーンも、この安土城で行われました。

そしてその明智光秀がおこした本能寺の変で、天守や本丸は焼失しました。

なお焼失した理由は、いくつか考えられていますが、くわしくはわかっていません。

その後もしばらくは織田氏の居城として、信長の孫の三法師(後の織田秀信)が使っていました。

 

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プロフィール

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愛知県豊橋市三本木町の某個別指導塾・塾長です。

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