スパルタとは―歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語
スパルタ
古代文明
教科書では、アテネとともに古代ギリシアの有名な都市国家(ポリス)として、紹介されています。
ただアテネは太字ですが、スパルタは太字ではありません。
スパルタは、当時最強と言われた軍隊を持ち、その力を維持するために子供たちにも厳しい教育を行いました。
これをスパルタ教育といい、この言葉は同じ意味で現在でも使われています。
アテネとスパルタは、当時のポリスの中でも非常に大きなポリスでした。
これは教科書でも触れられていますが、アテネでは民主的な政治が行われていました。
いっぽう、スパルタでは小数の人たちが力を持ち、民主的な政治は発展しませんでした。
また、アテネと違いスパルタは鎖国していたため、文化的な発展もあまり見られませんでした。
ペロポネソス半島のポリスは、同盟を組み、スパルタはその盟主となっています(ペロポネソス同盟)。
ペルシアが攻め込んできた際には、アテネとスパルタはポリスの中心として戦い、勝利しています(ペルシア戦争)。
ただこの戦争では陸軍中心のスパルタに対し、強い海軍を持っていたアテネが特に活躍します。
そのことがアテネを優位にし、アテネを盟主とするデロス同盟が組まれます。
こうして、アテネとスパルタは徐々に対立していきます。
そして、アテネとスパルタを中心とした戦争(ペロポネソス戦争)へとつながります。
この戦争は27年間続きました。
これにスパルタは勝利しますが、戦争の長期化は、アテネやスパルタなどポリス全体の力を弱くしてしまいました。
そこにペルシア帝国が入ってきて、スパルタは衰退していきます。
※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。
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明とは―歴史で中学生が知っておきたい中国史
2017年11月11日
社会, 知っておきたい中国史
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w.sanbongi
明
みん
朱元璋
日本:室町~江戸
日明貿易など日本との関係もあることから、教科書では太字ですが、明自体の記述はあまりありません。
明は漢民族の国で、紅巾の乱(こうきんのらん)の指導者のひとり、朱元璋(しゅげんしょう)が建国します。
建国後は洪武帝(こうぶてい)と言われました。
朱元璋はもともと農民で、農民から皇帝になったのは、漢の建国者劉邦(りゅうほう)とこの朱元璋です。
ただ朱元璋は農民出身であることにコンプレックスを持っており、残酷(ざんこく)なことをたくさん行っています。
農民時代の朱元璋を知っている人は、みんな殺されたと言われています。
よって、劉邦は中国で(日本でも)とても人気がありますが、朱元璋は今でも全く人気がありません。
そしてこのような性格から、朱元璋は独裁政治(どくさいせいじ)を行います。
有名な政策では、今の日本と同じように、皇帝1人に対し、1つの元号を用いた一世一元の制(いっせいいちげん)があります。
その後、朱元璋の長男は早くして亡くなったため、孫が第2代建文帝(けんぶんてい)になります。
これに対し、軍で力を持っていた朱元璋の4男燕王(えんおう)が反乱、燕王が勝ち、第3代永楽帝になります。
この永楽帝(えいらくてい)の時代に、明は安定期を迎えます。
永楽帝は国の力を外部に示すためにモンゴル遠征や、鄭和(ていわ)の大艦隊を南シナ海、インド洋に派遣しています。
永楽帝の死後、有能な皇帝が現れず、倭寇(わこう)や豊臣秀吉の朝鮮出兵など外からの攻撃にさらされます。
モンゴルの侵入を防ぐために、万里の長城も再建しています。今見られる万里の長城はこのときのものです。
これを明は何とか乗り切りますが、それに対する軍事費がとても多くかかりました。
その後も政治の乱れや増税などが続き、そして李自成(りじせい)を中心とする農民反乱がおこり、滅亡します。
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