高杉晋作とは-奇兵隊を作った長州藩の中心人物
高杉晋作
たかすぎしんさく
1839年~1867年
教科書では、木戸孝允(きどたかよし)とともに長州藩の実権を握った人物として、登場します。
高杉晋作は、桂小五郎(木戸孝允)とともに長州藩の中心人物で、奇兵隊(きへいたい)を作ったことで知られています。
長州にあった私塾・松下村塾(しょうかそんじゅく)で、吉田松陰から尊王攘夷(そんのうじょうい)の思想を学びました。
この考えにより、高杉晋作ら10名が、品川においてイギリス公使館焼き討ち事件を起こしています。
長州藩が下関海峡を通るアメリカ・フランス・オランダの船を砲撃した際には、下関防衛の任務についていました。
このとき長州藩の正規兵以外で組織されたのが、奇兵隊です。
約3割が庶民で、奇兵隊は高杉晋作が亡くなった後も、幕府を倒す軍として活躍しました。
この長州藩外国船砲撃事件は、若干の損害を与えましたが、アメリカ・フランスの報復にあい、敗れています。
その翌年には、イギリス・フランス・アメリカ・オランダが下関を砲撃します(四国艦隊下関砲撃事件)。
このとき高杉晋作は、和議(仲直りをすること。和睦の会議)の交渉を任されています。
連合国の多くの条件を受け入れた高杉でしたが、一部の領土の植民地化だけは受け入れなかったといわれています。
こののち、力士隊(りきしたい)を率いていた伊藤博文らと功山寺(こうざんじ)で挙兵、長州藩の実権を握りました。
第二次長州征伐では、海軍総督として自身の船・丙寅丸(へいいんまる・オテントサマ丸とも)で活躍しています。
しかし、江戸幕府の滅亡を見る前に、肺結核で亡くなりました。
高杉晋作は、大河ドラマなど幕末を題材にした多くのドラマだけでなく、マンガやゲームにも登場します。
マンガ『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心(ひむらけんしん)は最初、奇兵隊に入隊しています。
その実力を桂小五郎と高杉晋作に見いだされ、人斬り・緋村抜刀斎(ばっとうさい)として暗殺を仕事とするようになります。
スポンサーリンク
北条氏とはー北条早雲・北条氏綱・北条氏康・北条氏政・北条氏直
2018年7月20日
歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
No Comments
w.sanbongi
北条氏
ほうじょうし
戦国時代(室町時代~安土桃山時代)
教科書では、1590年に関東の豊臣秀吉が北条氏を滅ぼしたことで、奥羽の大名も従い、全国統一をしたとあります。
北条氏は、御家人・伊勢盛時がその始まりです。北条早雲の名で知られていますが、北条氏を名乗るのは、第2代からです。
鎌倉時代の執権だった北条氏と区別するため、後北条氏や小田原を拠点としたことから、小田原北条氏ともいわれます。
早雲は駿河の守護でおいにあたる今川氏親を支援、その後伊豆に攻め入り、小田原城を拠点としました。
諸説ありますが、この北条早雲が最初の戦国大名といわれています。
第2代は北条早雲の子・北条氏綱で上杉・武田・里見氏らとの攻防を繰り広げながら、関東に領土を拡大させます。
氏綱の代のとき今川氏の当主となった今川氏親の子・今川義元は武田氏と同盟を結んだため、今川氏とは関係を解消しています。
第3代は北条氏綱の子・北条氏康で関東から上杉氏を追い払い、北条氏の全盛期をつくりました。
敵対関係にあった今川氏・武田氏と三国同盟を結び、武田氏の武田信玄とともに上杉謙信と戦いました。
その後義元が織田信長に討たれたため、信玄は今川氏の駿河に侵攻、北条氏は今川氏を支援したため同盟は解消されました。
このときは武田信玄に対抗するため、上杉謙信と同盟を結んでいます。
第4代は北条氏康の子・北条氏政でこのころ大きく勢力を伸ばしていた織田信長に対しては、友好関係を築こうとしていました。
しかし信長が本能寺の変で亡くなったため、事態は変わり、関東にいた織田軍を領地から追い出しています。
その次に権力者となった豊臣秀吉とは対立、秀吉が四国・九州を降伏させた後も秀吉の降伏勧告には応じませんでした。
秀吉は小田原征伐を決意し、大軍で小田原城を包囲します。氏政は降伏し、切腹しました。
この小田原攻めの際、奥州を平定していた伊達政宗も服従し、こうして秀吉による天下統一が成りました。
なお氏政の子で第5代当主となっていた北条氏直や一族は命を助けられたため、北条氏はその後も存在し続けました。
スポンサーリンク