カテゴリー: いろいろな現代の歴史
所ジョージとはーお笑いの歴史
所ジョージ
1955年1月26日生まれ
お笑い第二世代
所ジョージは、タレントとしてだけでなく、音楽、雑誌など多方面で活躍しています。お笑い第2世代を代表するタレントです。
ビートたけしや明石家さんまと並べられる大物タレントですが、漫才、コント、落語、ものまねも基本的にはしません。
ミュージック・コメディアンという独自のジャンルで、テレビに出てきています。
よってお笑い芸人という枠組みでは、一概に語れない人物でもあります。
常にメガネやサングラスをしており、額にのせるのが特徴です。Tシャツにジーンズというスタイルが多いです。
最初はシンガーソングライターとしてデビューしており、現在まで活動しています。
『オールナイトニッポン』のメインパーソナリティとして、タレント業を始め人気を得ます。
その後『笑っていいとも!』のレギュラーとなり、自身の冠番組も数多く持つようになります。
特に日本テレビでは多くの人気番組に関わっており、日本テレビではタモリ以上に貢献しています。
これによってミュージシャンより、司会、タレントとしてのイメージが強くなりました。
交友関係も広く、タモリとは付き合いも古いです。
自身の結婚披露宴の仲人も、タモリがつとめています。
ビートたけしとは共演も多く、『世界まる見え!テレビ特捜部』では長きにわたり、共演しています。
プライベートでも仲がよく、世田谷にあるガレージ「世田谷ベース」には、よく顔を出していると言われています。
明石家さんまとも古くから交友があり、特番などをいっしょにしたり、さんまがゲスト出演することもあります。
好感度タレントとして、その手のアンケート調査だと昔から常に上位に名前が上がります。
そのため、数多くの有名企業のCMで起用されています。
現在でも『所さんの目がテン!』『笑ってコラえて!』などの長寿番組を始め、数多くの番組で活躍中です。
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島田紳助とはーお笑いの歴史
2018年3月4日
お笑いの歴史, いろいろな現代の歴史
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w.sanbongi
島田紳助
1956年3月24日生まれ
お笑い第二世代
島田紳助は、主に司会者として活躍した元吉本興業所属の、第二世代を代表するお笑いタレントです。
あごがしゃくれており、しゃべり方も特徴的でした。『嗚呼!バラ色の珍生!!』のしゃべりなどよく真似されます。
吉本興業の同期には、明石家さんま、オール巨人がおり、よく3人の昔のエピソードを聞くことができました。
吉本所属の後輩にも影響を与えており、特にダウンタウンの松本人志は、強く影響を受けています。
また松本人志とは『松紳』でいっしょに番組を行っただけでなく、友人としても深い関係にありました。
最初は紳助・竜介として、B&B、ツービートとともに漫才ブームを作ったコンビの1組に挙げられます。
その漫才スタイルはリーゼントヘアをして不良の格好をして漫才を行い、「つっぱり漫才」と言われました。
『オレ達ひょうきん族』のレギュラーにもなり、数多くの番組に出演する人気タレントになりました。
漫才ブーム終了後、コンビは解散します。このとき(まだ無名だった)ダウンタウンの漫才には勝てないと発言しています。
解散後は、そのトーク術と鋭いツッコミを活かして、司会者として人気を得ています。
2001年には漫才コンクール『M-1グランプリ』を企画し、審査委員長もしています。
審査員も豪華で、島田紳助、松本人志、南原清隆(ウンナン)が3人横並びに審査員を務めたときは話題になりました。
他にも『クイズ!ヘキサゴンⅡ』では、おバカタレントをブームにしました。ユニットを作り、ヒットもさせています。
人気絶頂の中、2011年、暴力団関係者との交際が発覚し、突如芸能界を引退しました。このときテレビ速報も流れています。
明石家さんま、松本人志は復帰を望むかのような発言をしてきましたが、現在本人が復帰を否定しています。
『なんでも鑑定団』『行列のできる法律相談所』『深イイ話』『オールスター感謝祭』は、司会を替えて現在も放送中です。
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