カテゴリー: 社会
万里の長城とはー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語
万里の長城
ばんりのちょうじょう
古代文明
教科書では秦の時代、北方の遊牧民の侵入を防ぐために築かれたとあります。
万里の長城は、長城とありますが、実際は城ではなく「壁(かべ9」です。
敵の侵入を確認するためのやぐらやのろし台もあります。
今ある万里の長城は明の時代に作られたもので、石で作られています。
全盛期には今あるものの3倍以上の長さがあったと言われています。
明以前は土で造られていました。
秦で覚えますが、秦の始皇帝は万里の長城を造った人というより、つなげた人というのが正しい表現かもしれません。
壁自体はそれより数百年前からあったと言われています。
北方民族は騎馬(きば)が中心だったので、騎馬で攻め込まれないようにするために造られたものでした。
秦以降、だんだん万里の長城の存在意義は薄れていきますが、12世紀初めころ金が長城の修復を行います。
しかし、北方民族の一つモンゴルがこれを破り、金国は滅ぼされます。
そして万里の長城は再び、そのままの状態になります。
その後、明の時代に首都を南の南京(ナンキン)から北の北京(ペキン)に移す際、北方防衛のために再築されます。
このとき今の石で造られた万里の長城になります。
中国では、万里の長城は唯一宇宙から確認ができる建造物として、教科書にも載っていたようです。
ただ実際には見えず、中国人が実際にそれを確認したときから、教科書には載らなくなりました。
世界遺産にも登録され、中国の有名な観光地ですが、その長さから現在整備されているのは、観光用の一部のみです。
※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。
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元とはー歴史で中学生が知っておきたい中国史
2017年11月4日
社会, 知っておきたい中国史
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w.sanbongi
元
げん
フビライ・ハン
日本:鎌倉~南北朝
元はモンゴル帝国の中国風の名前です。
モンゴル帝国を建国したチンギス・ハンの孫で、第5代フビライ・ハンが中国を支配した際に元と定められました。
モンゴル帝国がユーラシア大陸にまたがる大帝国で、元寇など日本にも関係する国なので、教科書の記述も多いです。
元の皇帝=モンゴル帝国の皇帝ですが、フビライは兄弟と争い皇帝になっており、このときモンゴル帝国では内乱続きでした。
この状況はフビライ死後も続き、モンゴル帝国の皇帝としての力は弱まります。
モンゴル帝国は元をはじめとする、いくつかのチンギス・ハンの血族が統治する国の連合国のような形になりました。
よって元とはフビライの子孫が皇帝となり、その統治が及ぶ範囲を指します。
モンゴル帝国はもともと遊牧民の国ですが、フビライは中国風の統治へ転換(てんかん)をはかっています。
統治の原則は、モンゴル人第一主義で、序列を4段階に分け、上位の官職はモンゴル人が独占しました。
ベトナム、ミャンマー、タイ、朝鮮、そして日本と領土を広げようとしました。
しかし、日本遠征(元寇・文永・弘安の役)を初めいくつかは失敗に終わっています。
フビライ死後、元の国力は弱まります。
ただシルクロード交易により、元の首都・大都(だいと・今の北京)はその中継地点として栄えました。
マルコ・ポーロにより日本が「黄金の国ジパング」として伝えられたのも、この時期です。
そののち、後継者争いがおき政治は混乱しました。
さらにモンゴル人の支配をよく思わない、白蓮教徒が主導となり反乱をおこします(紅巾の乱・こうきんのらん)。
そのリーダーの朱元璋(しゅげんしょう)が首都を落とし、その時の元の皇帝はもとのモンゴル高原へと引き上げます。
正確にいうと滅んだわけではありませんが、ここまでを元とし、これ以降の元は北元と呼びます。
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