カテゴリー: 歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
尚氏とはー琉球王国の王家で尚巴志・尚泰を知っておきたい
尚氏
しょうし
室町時代
教科書は太字ではない
中学の教科書には、沖縄島を統一し、首里を都とする琉球王国を建てた一族(人物)として出てきます。
尚氏は、約450年間続いた琉球王国の王家です。琉球王国を作ったのは、尚巴志(しょうはし)と言う人物です。
当時沖縄島には、北山・中山・南山と3つの王国に分かれていました。
そのとき佐敷(さじき)と言う場所の按司(あじ・豪族のこと)だった尚巴志が中山を滅ぼして、中山王となりました。
その後、北山・南山と滅ぼして、首里に王府を置く、琉球王国を建国しました。
尚巴志は那覇の港を整備し、琉球船を使った明・日本・朝鮮・東南アジアとの交易で繁栄しました(中継貿易)。
尚巴志の孫にあたる第6代・尚徳王が、無理な遠征を行ったため、政権が崩壊します。
尚徳王の死後、クーデターが起き、重臣であった尚円王(しょうえんおう)が即位しました。
よって、血縁がかわるため、このクーデター以前を、第一尚氏、クーデター後を、第二尚氏ともいいます。
1609年、日本は徳川氏の世となり、琉球王国は薩摩藩に攻められました。
こうして第二尚氏第7代・尚寧王(しょうねいおう)のとき、薩摩藩に事実上支配されるようになります。
そのような中でも、清にも朝貢を続け、日本と中国、両方の国の支配下にあるような存在になっていました。
1850年代に入ると、ペリーの黒船が来航、不平等条約を結び、那覇を開港しています。
このような状況下で、王国であり続けましたが、1872年、琉球藩となり、最後の琉球国王・尚泰は華族となりました。
明治政府は尚泰(しょうたい)に清との関係を絶ち、東京に来るよう命じましたが、これに抵抗する姿勢を見せています。
さらに1879年、琉球処分により、琉球藩は廃止とされ、沖縄県が設置されました。
尚泰は東京に移住させられ、他の藩主同様、侯爵(こうしゃく)としての地位を与えられています。
なお女優で沖縄出身の比嘉愛未(ひがまなみ)は、琉球王朝の末裔(まつえい)だとかつてニュースになったことがあります。
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首里とはー琉球王国の都・『琉球の風』の舞台
2018年5月25日
歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
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w.sanbongi
首里
しゅり
室町時代
教科書では、琉球王国の都として登場し、その王城である首里城の正殿は写真も載っています。
首里は、現在の沖縄県那覇市にあります。中山王の尚巴志が琉球王国建国のさい、首里を首都とし、首里城を王城としました。
琉球王国時代はずっと中心であり続けましたが、琉球処分による沖縄県設置のさい、那覇に中心が移っています。
王城である首里城は、もともと沖縄島にあった3つの王国・北山・中山・南山のうち、中山の城であったと考えられています。
この中山を尚巴志が滅ぼし、その後統一したため、琉球王国の王家である尚氏の住む城となりました。
その後もずっと王城であり続けましたが、数度にわたり焼失にあったと記録されています。
琉球処分後は、軍の施設や、学校として使用されました。
その後改修工事が行われましたが、太平洋戦争の沖縄戦のおいて、アメリカ軍との戦闘により破壊されています。
そして1950年代から再建が始まり、現在まで続いています。
琉球王国はもともと中国との関係が強かったので、首里城は城の作りや見た目も日本の城より、中国の城の影響を受けています。
また日本の城のように軍事目的ではなく、政治目的で作られている面が強いです。
鎌倉の円覚寺をまねた那覇の円覚寺も建てられ、第二尚氏の菩提寺(ぼだいじ)となりました。
中国からの使いを招いて、宴(うたげ)を行うなど、琉球王国にとっても重要な場所であったとされています。
また第二尚氏の第4代・尚清王(しょうせいおう)のとき、首里城の正門として守礼門(しゅれいもん)が建てられました。
これも太平洋戦争の沖縄戦で焼失していますが、のちに再建されています。
1993年には、首里城を舞台にしたNHK大河ドラマ『琉球の風』が放送されました。
1600年代、薩摩藩・島津氏に侵攻されたころの琉球王国が描かれています。
架空の登場人物が多い作品ですが、尚氏の尚寧王(しょうねいおう)は登場します。
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