カテゴリー: 歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
万里の長城とはー歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語
万里の長城
ばんりのちょうじょう
古代文明
教科書では秦の時代、北方の遊牧民の侵入を防ぐために築かれたとあります。
万里の長城は、長城とありますが、実際は城ではなく「壁(かべ9」です。
敵の侵入を確認するためのやぐらやのろし台もあります。
今ある万里の長城は明の時代に作られたもので、石で作られています。
全盛期には今あるものの3倍以上の長さがあったと言われています。
明以前は土で造られていました。
秦で覚えますが、秦の始皇帝は万里の長城を造った人というより、つなげた人というのが正しい表現かもしれません。
壁自体はそれより数百年前からあったと言われています。
北方民族は騎馬(きば)が中心だったので、騎馬で攻め込まれないようにするために造られたものでした。
秦以降、だんだん万里の長城の存在意義は薄れていきますが、12世紀初めころ金が長城の修復を行います。
しかし、北方民族の一つモンゴルがこれを破り、金国は滅ぼされます。
そして万里の長城は再び、そのままの状態になります。
その後、明の時代に首都を南の南京(ナンキン)から北の北京(ペキン)に移す際、北方防衛のために再築されます。
このとき今の石で造られた万里の長城になります。
中国では、万里の長城は唯一宇宙から確認ができる建造物として、教科書にも載っていたようです。
ただ実際には見えず、中国人が実際にそれを確認したときから、教科書には載らなくなりました。
世界遺産にも登録され、中国の有名な観光地ですが、その長さから現在整備されているのは、観光用の一部のみです。
※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。
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スパルタとは―歴史で中学生が太字ではないけど知っておきたい用語
2017年11月10日
社会, 歴史で太字ではないけど知っておきたい用語
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w.sanbongi
スパルタ
古代文明
教科書では、アテネとともに古代ギリシアの有名な都市国家(ポリス)として、紹介されています。
ただアテネは太字ですが、スパルタは太字ではありません。
スパルタは、当時最強と言われた軍隊を持ち、その力を維持するために子供たちにも厳しい教育を行いました。
これをスパルタ教育といい、この言葉は同じ意味で現在でも使われています。
アテネとスパルタは、当時のポリスの中でも非常に大きなポリスでした。
これは教科書でも触れられていますが、アテネでは民主的な政治が行われていました。
いっぽう、スパルタでは小数の人たちが力を持ち、民主的な政治は発展しませんでした。
また、アテネと違いスパルタは鎖国していたため、文化的な発展もあまり見られませんでした。
ペロポネソス半島のポリスは、同盟を組み、スパルタはその盟主となっています(ペロポネソス同盟)。
ペルシアが攻め込んできた際には、アテネとスパルタはポリスの中心として戦い、勝利しています(ペルシア戦争)。
ただこの戦争では陸軍中心のスパルタに対し、強い海軍を持っていたアテネが特に活躍します。
そのことがアテネを優位にし、アテネを盟主とするデロス同盟が組まれます。
こうして、アテネとスパルタは徐々に対立していきます。
そして、アテネとスパルタを中心とした戦争(ペロポネソス戦争)へとつながります。
この戦争は27年間続きました。
これにスパルタは勝利しますが、戦争の長期化は、アテネやスパルタなどポリス全体の力を弱くしてしまいました。
そこにペルシア帝国が入ってきて、スパルタは衰退していきます。
※教科書とは、東京書籍発行の「新しい社会」を指します。
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